「京急沿線の魔境」
(第104話)
高校一年のとき、初期の日活ロマンポルノを定期的に観ていたことは既に書いた。
最初は補導されるのではという緊張もあったが、月に四本(確か隔週で二本立てだった)も観ていれば心配もなくなり、回数券がなくなるころには続けて観ようという気もなくなった。
もっとも性への関心が薄れたわけではない。平凡パンチは愛読してたし、ストリップにも行った。
ただ、単純に体験したいという欲求とは別に、夜の街やそれに連なる色恋に溺れる大人に早くなりたかった。
ところが男子校の現実は、健全かつ自然な色恋の道の端緒もなかった。
必然、想像と架空の世界に向かうことになる。小説の趣味も、谷崎や永井になり、吉行淳之介などは憧れの対象だった。
遠藤周作が書いた吉行の言葉に確かこんなのがある。
「ひざもも三年しり八年」
酒場で自然に膝や腿を触れるようになるのに三年、尻にいたっては八年かかるという意味である。
その長い修行期間に嘆息し、八年たって、結局それは個々の資質の問題だというのが、当たり前のようにわかった。
もっとも停学や退学をかけてまで、こうした修行に精を出そうという度胸もなかった。
日活ロマンポルノは卒業したが、その奥の京浜急行沿いの魔境に足を踏み入れることはなかった。
ようやく成人してから畏友Hと黄金町のチョイの間に行った。(チョイの間とはショート専門の非合法売春バーのことである)
おそるおそるビールの値段を聞き、一階のカウンターで飲んだ。カウンターの向こうで、まだ化粧もしてない三十代の女性が笑顔も見せずに注いでくれた。
まだ宵の口の時間だったこともあろうが、二階に誘われることもなく、ビール二本だけ飲んでそそくさと大岡川沿いの道にでた。学生の冷やかしミエミエだったのだろう。
Hはその数日後一人でまた行ったそうである。
Hにはそういうところがある。
ずっと後年久しぶりに野毛で二人で飲んだとき、一軒目の店の前で女の子がランジェリーパブの呼び込みをしていた。Hはその女の子の一人と顔見知りだった。
セット料金でその店に入って彼に事情を聞いたところ、彼がピースボートにゲストで行ったとき、テーマがストーカーで、彼女はパネラーの一人だったそうだ。
デイープなストーカーに追われていて、これから横浜に逃げますと彼女は言っていたそうである。逃げた横浜の勤め先がその店だったのだ。
セットを延長することもなく店を出て彼と別れたが、彼はその足で店に引き返し彼女を指名したと、後日聞いた。
Hは修行することもなく、昔から大岡川を渡れるヤツだった。
最近久しぶりに大学同級のHに会った。彼は再会を喜んだあと、肥満気味の私を見て笑って、「オマエ、六十前には死ぬって言ってなかったっけ」と言った。役にもたたぬ古代ロシア語の研究などやってるヤツに人の寿命について言われたくなかったが、一瞬のうちに昔の記憶をたどった。
「歳まで言ってたか覚えてないが、ゴールデン街のゴミ箱の脇で死ぬと言ってたな」
私は修行なかばで生きている。
黄金町のチョイの間街は、神奈川県警に一掃され、今はギャラリーやプデイッグのオシャレな街になっている。
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