「記憶の中のスナップ」
(第105話)
アルバムに貯まった写真をながめると、その前後の記憶がよみがえるものである。
一方、写真には残されていないが、頭の片隅にいつまでも残るスナップもある。
とりとめもないそうしたスナップの記憶をふたつ話したい。
1966年小学校六年生のとき、横浜に「子供の国」という施設ができた。確か記念切手にもなったはずである。
夏休みに同級生三人で子供の国を見に行くことにした。
それは横浜の北西のはずれで、横浜南部の小学生にとってひどく遠いところだった。
当時まだ開園したてで遊戯施設もなく、ただ起伏のある広い芝生が続くだけだった。しかも球技も禁止で、小学生3人では退屈な場所だった。
ようやく広い池と、漕ぎ出せるイカダがあるのを発見した。数艘あるイカダは出払っていて、私たち三人は足踏みしながら波止場で待った。
ほどなく大学生かOL一年生くらいの若い女性三人が乗ったイカダが戻ってきた。
女性二人まで降りたとき、友人の一人が待ちきれずイカダに飛び乗った。
「待ちなさい」という女性の声と前後して、イカダが岸から離れ、三人目の女の子は片足を岸にかけていたのが災いして、ゆっくりと池に落ちた。
池の深さは腰ほどもなく、すぐに皆で引き上げた。
「コラ、謝れ」と先に上がった女性の一人は言った。神妙に頭を下げる私たちを見て、子供相手にしょうがないと思ったのだろう、それで許してくれた。
私たちはイカダに乗りながら、「そのまま乗ってればいいのに、ニブいよな」とか多少責任転嫁を試みたが、全面的に我々が悪いのはわかっていた。
イカダも一周すればもうやることもなく、池から出口まで続く芝生の中の帰路で、前を件の三人の女性が歩いているのを発見した。
我々はもう一度謝る度胸もなく、一定距離を保って黙って歩いた。
落ちた女の子はスカートで、つまり子供の国を急に見に来ることにしたのだろうが、そのスカートはまだ乾ききっておらず、池の水深を示すかのように色が変わっていた。
ミニスカートがまだ出始めのころで、二色のミニスカートと健康的な脚に、不謹慎ながら色っぽさを感じて眺めていた。
彼女たちが少しでも笑ってくれていたらと願っていたが、確認はできなかった。
大学一年のときの記憶である。
当時、高校からのつきあいもあって、ときどき左翼系のサークルにも顔をだしていた。
ノンセクトのちょっとユルいそのサークルには、その大学らしく女性が大半を占めていて、中に四年生の小柄でちょっと綺麗な女性がいた。
彼女は左翼的な声高な自己主張もなく、穏やかで、ひどく場違いだった。
あるとき彼女と一年生の女の子の会話を脇で聞いていた。
彼女は時給がいいからと、美大だかどこかのモデルをやってるという話だった。
「ワタシでもできるかしら」
お調子者だった同級生の子が聞いた。
「できるわよ」
彼女は優しく答えていた。
まだ小太りの同級生の子ではムリだろうと半畳を入れたかったが、一方彼女がヌードモデルまでしていることがちょっとショックだった。なんだか自虐的な感じがした。
説得だか懇願されて何かの集会に行ったとき、彼女も参加していた。
集会場所で儀式のようなアジ演説を聴くために、地面に座ったすぐ斜め前に彼女が座っていた。
彼女の質素なスラックスの先の靴で目が留まった。
彼女の靴は体育館で履くような薄いズックで、しかも靴底がほぼやぶれて紐でしばっていた。
すぐに彼女の人生を想像した。
多分女子高からこの大学に入って、何故か社会の矛盾にめざめてしまい、多分親から勘当されて自活しているのだろう。
そこまですることないだろう、と心の中でつぶやいた。彼女の純粋さが痛々しかった。
彼女がその後どういう人生を歩んだか、もちろん知る由もない。
二人の女性の後姿のスナップである。
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