ハマっ子ノスタルジー

            

深夜放送』 
(第16話)
                             広瀬裕敏

  テレビは居間に一台、携帯もゲームもない時代に、すべての高校生は深夜放送を聴いていた。
 教師の忠告にもかかわらず、トラック野郎向けの「走れ歌謡曲」が始まるまでしっかり起きていた。おかげで睡眠は4時間、起きて20分で家を飛び出し、駅から歩いて20分の通学路の坂道を10分で駆け上がり、始業ベルと同時に教室に飛び込んだ。
 熱心なリスナーではなかった。毎日こうした生活をしていても、格別ひいきのデイスクジョッキーがいるわけでもなかった。
 オールナイトニッポン、パックインミュージックが全盛で、後発でセイヤングが始まった頃の話である。落合恵子がDJの中でアイドルだった。
 平素勉強はひとつもしなかった。毎日長い夜ひたすら小説を読んでいた。活字を追いながらも、「ながら族」は床に着くまでラジオを消すことはなかった。
 深夜放送は、私以外にもこの深夜にまだ起きていて、そして多分、私以外にも無為に青春を過ごしている連中がいることを確認させてくれる、いわば精神安定剤であった。
 日曜の夜ベストテン番組で、「エデンの東」のテーマ曲が十年間第一位だった。ジェームズデイーンの焦燥は私の焦燥であり、十年間投票し続けた先輩たちの焦燥だった。
 フォークソングは深夜放送で知った。ボブデイラン、ジョーンバエズ、岡林信康、高田渡、少し遅れて吉田拓郎。岡林の「私たちが望むものは」、拓郎の「今はまだ人生を語らず」。フォークルの「イムジン河」は放送禁止になる前に聞くことはできなかった。なぎら健一の、土俵でまわしがとれる話の「悲惨な戦争」は、一度聴いた後すぐ放送禁止になった。
 野澤那智、白石和子のパックインミュージックは、他の番組と違って、リスナーの投稿を朗読する番組だった。さして日常のエピソードもない私は、共学校の男女交際の話を羨望まじりに聴いていた。
 高校の親友が、ある番組の駄洒落コーナーに投稿して採用されたと自慢した。なんでも「星座」がテーマだったそうで、次のような内容だった。
「待ち合わせに遅れた友達、置いてっちゃったんだって」
「それは白鳥座(薄情だ)」
 あまりのくだらなさに今でも覚えている。


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