ハマっ子ノスタルジー

       
『将来の夢』
(第20話)
                             広瀬裕敏

 私はあまり意志が強いほうではない。
 目標を定めて、それに向かって邁進するなどといくことは、できたためしがない。状況に流されて馬齢を重ねてきた。
 小学生のときの夢は何だっただろう。
 コーラ工場の二階に住んでいたから、庭付きの家に住みたかった。山手の丘に住みたいという気持ちもあった。
 中学生になってサッカーを始めて、代表クラスのサッカー選手を夢見たこともあった。(もちろん能力からいって無理なことはわかっていたけれど)
 映画が好きになって、映画監督を夢見たこともある。ロマンポルノの監督でもよいと思った。
 そのうち小説家にあこがれるようになった。「ロシア語学科」なるところを大学で選んでしまったのも、文学に対する漠たる憧憬があったからである。小説家であるために、病弱で奇矯でなければならないと思ったりした。精神診断テストで正常という結果がでて、むしろがっかりした。
 「おまえ、高校の文集で、将来の夢何て書いたか覚えているか」
「いや何だったけ」
「高等遊民だぞ。あれは異彩を放っていた」
「そうか。そうだったかなあ」
 気恥ずかしさよりも、なんだか十七歳の自分を誉めてやりたい気持ちだった。十七歳の文学少年としては、将来の成功像など恥しくて書けるかという気持ちだったのだろう。
 中学生のとき、学校の帰りに友人二人と横須賀線のボックス席に座っていた。
 前に座っていたヒゲのおじいさんが、しげしげと私の顔を見て、突然話しかけてきた。
 「きみ、ツモリチョキンをしたほうがいいよ」
「はあー」(語尾あがる)
「実は私は人相見なのだがね。今日はタダで見てあげるから。きみは浪費のヘキがある。将来何かしたつもりで貯金する。キャバレー行きたくなったら行ったつもりでそのお金を貯金する」
「はあー」(語尾さがる)
 事実であった。
 確かにお金は貯まっていないが、後悔はない。何かしたつもりで何もしないで、何の意味があるのだ。何かして痛い目にあうほうがよっぽどいいだろう。
 ちなみに、そのとき隣に座っていた友人は、ムコ養子の相がでている、と言われたが、これはあたっていない。

  
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