ハマっ子ノスタルジー

       
『モスクワ』
(第27話)
                             広瀬裕敏
 
  モスクワのシェルメチェボ空港に降りると、ロシア煙草と消毒剤の混じった臭いが押し寄せてくる。
 この臭いでまたソ連に来てしまったことを実感して身がひきしまるのである。
 当時私の勤めていた会社は、外国企業のビジネスセンターと併設した大型ホテルに、長期契約したフラットを持っていた。一階にリビングダイニング、二階にベッドルームが二つあるタイプで、そこで自炊することも多かった。
 モスクワ川沿いの、クーデター時エリツインがたてこもった旧ロシア共和国政府ビルの近くに位置する。
 ソ連時代、出張の外国人の行動半径などたかが知れたものである。
 フランスの会社に勤めるアイルランド人に、ポーランド人向けカトリック教会の場所を教えてもらい、ひとりで日曜日にのぞいてみた。KGB本部ビルの裏に位置していた。
 ミサが終わったあと、信者同士の談笑も無く、珍しいアジア人に注目されることも無く、皆下を向いて教会から散っていった。まだブレジネフが健在の時代だった。
 ウクライナの地方都市への長期出張のあと、親しくなったウクライナの看護婦さんに、次のモスクワ出張の時期と連絡先を手紙で送った。
 モスクワに着いて何日かして、彼女からホテルの部屋に電話があった。休暇をとってモスクワの親戚の家にいるという。
 モスクワに出張二回目の外国人とウクライナの二十四歳の看護婦である。ホテルを道案内することもできず、適当な待ち合わせ場所も思いつかず、結局「赤の広場」で待ち合わせることにした。
 赤の広場のレーニン廟の近くで待っていると、彼女の町での待ち合わせと同じように、微笑みながらゆっくり石畳を踏んで彼女が近づいてきた。
 ホテルの日本料理屋に誘った。彼女は初めての日本料理に美味しいと言いながらも、居心地が悪そうだった。
 そのあと二回会った。彼女は、彼女のためになかなか時間を割けない私をなじり、モスクワは好きでないと言った。親戚の家も居心地が悪かったのだろう。
 彼女がウクライナに帰る日、夜行列車の始発駅まで彼女を見送った。会話がとぎれたが、それは言葉の問題だけではなかった。
 帰国後何度か手紙をもらい、何度か手紙を出した。久しぶりにもらった手紙には、医者と結婚したがそれ以外は何も変わっていないとつづられていた。
 モスクワは時報に「モスクワ郊外の夕べ」が流れる。モスクワは夕暮れが似合う。
  
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