ハマっ子ノスタルジー

       
『横浜たそがれ』
(第29話)
                             広瀬裕敏
 
 酒が好きだった。
 酒を飲むこと自体も好きだったし、酒場や盛り場も好きだった。
 高校を卒業して活動範囲が拡がり、東京で飲むことも多くなったが、地元横浜も忘れたわけではなかった。
 元町から中華街周辺、野毛、横浜駅西口、関内。別になじみの店をもつこともなく、とにかく安く飲めればよかった。
 男子校の卒業生たちは、当然のことながら共通の女性の友人などなく、女性のいる店に行く資金力もなく、ひたすら仲間内で飲んでいた。各々世界が広がった友人たちと、話題はふんだんにあった。
 高校時代は、本牧の親友の家のバラックの離れで,車座になって飲むことが多かったが、高校を卒業してからは、盛り場、飲み屋の開拓を競いあった。
 この本牧の友人、あだ名を「ヘイジ」といった。ハゲの英語読みである。彼は大学は愛媛の松山に行ったので、帰省のとき横浜の盛り場を徘徊した。
 あるとき彼と関内で飲んで海と反対の方角に歩いていると、いつしか店もなくなり、やがて突然異様な町並みにでくわした。
 通りの中央の柳。木造家屋にコンクリートをかぶしたような家の造り。一階の大きな窓。そこは旧赤線か青線の街であることを悟った。自宅から歩いて15分くらいのところだった。
 ヘイジも私もひときわ好奇心の強いほうである。わずかに灯りをともしている数件の飲み屋のひとつを選択して入った。
 カウンターだけの店内に客は居なかった。カウンターの奥には茶の間とおぼしき座敷があり、そこから六十歳前後の女性がでてきた。
 「店あいてますか」
 初見の客でも、やくざっぽくない学生風の二人連れに女主人は顔をほころばせた。
 カウンターに座ってあたりを見渡すと、所狭しと地方土産の置物やコケシの類が並んでいた。壁には草花の接写写真が数枚かけられていた。
 ビールを飲み、女主人と話が弾んだ。店を始めて20年ちかくなること。写真や旅行はご主人の趣味であること。
 何処に住んでいるのかとたずねられ、日本橋の酒屋の息子だと答えた。嘘ではない。一時期は向かいの酒屋と共同経営で別の場所に酒屋をだしていた。
 やがて主人が茶の間からドテラを着てでてきた。やせて総髪でドテラがよく似合った。
 主人は昼間は横須賀の米軍基地で働いているという。壁には花の写真に並んで、空母エンタープライズの船上で撮ったという記念写真もあった。
 一瞬沈黙が流れたとき、BGMにきがついた。ずっと「五木ひろし」だった。
 「五木ひろしが好きでね」
主人が照れたようにこたえた。
    ヨコハマたそがれ ホテルの小部屋
 聞き慣れたフレーズである。
 今まで五木ひろしのくせのあるこぶし回し、彼の歌が第一の横浜のご当地ソングであることがいやだった。しかし、この飲み屋の静かに流れる時間にこの歌はなんとマッチしていることだろう。
 またいらっしゃいね、という老夫妻の声に送られて店をでた。
 人通りの少ない道を歩きながら、どちらからともなくつぶやいた。
「ハマっ子の典型だな」
「ああ」
「これぞ、ヨコハマだな」
「ああ」
    あのひとは往って往ってしまった
    あのひとは往って往ってしまった
    もう帰らない
 歌のフレーズが頭をよぎった。

   
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