ハマっ子ノスタルジー

   
       
『通学バス』
(第32話)
                             広瀬裕敏

  鎌倉街道は横浜の幹線道路である。
 小学校を終えるころ(昭和41-42年当時)市電は邪魔者あつかいされ、徐々に撤去されていった。最後の路線が私が小学校に通う、桜木町と磯子の芦名橋を結ぶ線だった。小学校への通学は市電で通したものの、日曜ごとの東京の予備校通いはバスを使わざる得なかった。
 鎌倉街道を尾上町まで行き、そこを左折して桜木町で降りるか、さらに三菱重工横浜造船所(今の「みなとみらい」)を右手にみつつ横浜駅東口まで行く。
 自宅近くから横浜駅まで、横浜市営バス、神奈川中央交通、路線は違うが、京浜急行、江ノ電バスとよりどりみどりで、その日の気分でバスを選んだ。
 当時はワンマンバスもなく、車掌さんが手でドアーを開け閉めし、運転手に合図し、黒い料金カバンを開けて客におつりを渡していた。
 その一連の動きを見るのが好きだった。
 今でも忘れられない情景がある。
 横浜駅に向かうバスの運転手と車掌のペアーの話である。
 運転手はまだ若かったが愛想がやたらよく、乗客だけでなく、すれ違う同じ会社のバスの運転手にも愛想を振りまくのである。運転手組合の選挙にでも出るのではないか。こまっしゃくれた小学生は心の中でそう思って見ていた。
 車掌はまだ十代の新人だろう。制服と帽子と、黒い皮のカバンを少しでもカッコよく吊るそうとしているところがかわいかった。
 その彼女が、停留所の間の短い時間ごとに運転手席に行って一言二言話をするのである。桜木町から横浜駅まで、三菱ドックの脇を通っているときは、乗降客はほとんどいない。彼女はその間運転手の脇にはりついて、そこから停留所の案内をするのである。「降りる方いらっしゃいませんか」と乗客を見渡したあとは、ときどき運手をたたいたりもして笑いあっていた。
 これだけの話だが、古い日本映画と結びついたかのように記憶から離れない。
 運転手は若干軽薄な感じがするから浜田光夫あたりか。しかし車掌は吉永小百合という感じでもない。
 若い車掌の方が運転手に熱をあげているのは明白だった。
「だまされるなよ」
再び心の中で思った。どうも愛想のいい男に敵意を持っていた。ただ若い車掌も小学生に意見されたくないだろう。
 まだまだ日本は貧しく、働く若者が美しい時代だった。
 最近になってようやくあの若い運転手に対する敵意も薄れた。

    
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