ハマっ子ノスタルジー

  
       
『文弱』
(第38話)
                             広瀬裕敏

 私は体格がいい。
 加えて異相である。
 一度会ったらまず忘れられず、悪夢にでてきそうな顔らしい。雑踏で待ち合わせのときなど重宝がられる。
 今でこそ人づきあいやビジネスに有利だと思えてきて、自分の容貌も甘受する気になったが、学生時代は「文弱」に憧れた。
 私が小説にのめりこんだ中学から高校にかけて、小説家たるものは、三島由紀夫を除いて、間違えてもジムで体を鍛えたりしなかった。
 ゴホゴホと肺病のいやな咳をして、痩身、総髪にドテラを着てショートピースを燻らす。太宰とか吉行淳之介のイメージである。
 翻って自分の容貌を鏡で見て、脳天気な体型にため息がでた。
 体型と、それに伴う、よく言えば豪快、つまるところ粗暴なイメージが変えられない以上、「文弱願望」をあまり表にだすこともなくなった。
 たまに不調のとき、隠していた願望が表にでてしまうことがある。
 高校卒業文集で「高等遊民が将来の夢である」などと書いてしまったのは、嘘ではなかったが、言わずもがなであった。
 大学のロシア語学科には、明らかなマルクスガールが一名、文学少年くずれが一名いた。
 文学少年くずれは同時に演劇青年だった。前に「オニのロシア語」で登場させたKである。
 Kも当然「ロシア語1」を落第し、再履修の試験前日、不安なので自分の下宿で一緒に勉強してくれと言ってきた。私が大学のそばで少し酒を飲んでから彼の下宿に行くと、彼は勉強が進まないらしくふてくされて寝ていた。結局酒盛りになった。
 彼は中間小説誌までもよく眼を通していて話がよく合った。ドテラとタバコと日本酒もよく似合った。
 ちょうど村上春樹がデビューした頃である。
 デビュー作「風の歌を聴け」を読んでおまえが書いたのかと思ったよ、と言われ、苦笑いした。
 共通点は港町の出身(村上は神戸の出身)というだけである。確かに村上の「73年のピンボール」までは港町の香りがした。
 Kは二年でロシア語科を中退した後も、しばらく東京で小劇場活動をしていた。
 一人芝居のとき演出家とぶつかったらしく、突然Kは失踪した。
 親友ということで、少し先輩の演出家に呼び出された。何を話したかまったく覚えていない。結局公演まで見つからず、演出家自ら演じた舞台を観た。
 Kが見つかって失意の彼にかける言葉はなかった。ただ田舎(故郷)に一度帰れと言った。
 彼の田舎には、暖かい家庭とぼう大な蔵書があることを知っていた。
 そのときは半年もすればKは東京に戻ってくると思っていたが、結局そのまま田舎で中学教師になった。今でもウラジオ帰りの新潟でたまに飲む。
 文弱という言葉も、それに憧れる青年がいたことも、もう化石みたいなものかも知れない。
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