ハマっ子ノスタルジー

  
       
『モテたい!』
(第39話)
                             広瀬裕敏
 
 十代のころ私もフツーの男の子だった。
 つまり、動機とか理想とか行動基準とか、すべてが「どうしたらモテるようになるか」がベースになっていた。
 小学生のころはまだよかった。公立小学校の教室では、日常等身大の自分をさらけだすしかない。
 クラス替えのたびに必ず一人は好きになる子がいるのだが、おおむねマドンナは男の子の間の評価で重複したものであり、一言二言言葉を交わすだけで冷やかしの対象になった。彼女というものができようがなかった。
 中学校は大船の田舎の男子校に入った。女性といえば売店のオバさんしか存在しなかった。
 学校は駅から歩いて20分の山の上である。もうひとつ先の山の上に女子校があったが、彼女たちは大船駅からバスで通学しており、一方我が校はバスを利用することを禁止されていた。
 自然な同世代の女性との接点などありようがなかった。
 こうした悲惨な環境で、具体的な対象のない将来の彼女のために悪戦苦闘することになる。
 子供のころ私は天然パーマだった。しかも中学校は髪の長さも厳しく、どの角度から鏡を見ても、どういうヘアースタイルをしても、ショーケンからはほど遠かった。
 高校に入って徐々に髪を伸ばし始めたら、悪友たちから南こうせつとかツノダヒロとか言われた。
 メガネも問題だった。中学から眼が悪くなり、親に買い与えられたメガネは、黒いセルロイド製のダサいものだった。
 電柱にあいさつするほどではなかったので、道を歩くときはメガネをかけなかった。ただ帰宅途中悪友たちが目ざとくかわいい娘を見つけても、それに同意できるほど容貌を把握できなかった。
 そもそも部活動でサッカーを選択したのも動機は不純だった。
 中学一年のとき、第一志望はテニス部だったが、希望者が多すぎて漏れ、第二志望のサッカー部にまわされた。「モテるためのスポーツ」という基準に、テニスもサッカーも私の中では同列だった。
 おりしもテレビ番組で「青春とはなんだ」とか「これが青春だ」といった学園ものが流行っており、主人公の教師は、悪童が集まったサッカー部かラグビー部を指導していた。我が校のサッカー部も自然に悪童が集まったが、当然ながらやさしい女子マネージャーはいなかった。
 横浜の男子校生にとって、多分一番の理想はアメリカンスクールの彼女を作ることだったろう。次に高嶺の花は、山手のフェリス、双葉、共立といったミッションスクールの彼女だった。
 一度知り合いの娘に誘われて、双葉の学園祭に行った。彼女は校内を一通り案内してくれたが、彼女も仲間に冷やかされて二時間ともたなかった。
 さらに小学校の同級生に誘われてフェリスの学園祭にも行ったが、彼女は恥しがって相手もしてくれなかった。
 メールも携帯も無い時代である。彼女たちに家の電話番号を教えてもらっても、まずは両親のカベを突破する必要があった。なんとなく疎遠になり自然消滅した。
 まったくコンタクトのない相手には手紙という手段をとった。
 まずは友人の妹に、同じ学校の対象の女の子の住所を教えてもらい、いきなり手紙をだした。
 枚数が多くなればなるほど、何を言っているのかわからない、ひたすら一方的な手紙だった。
 一応返事はきた。ただ一言「申し訳ありません」とあった。
 かくして高校を卒業するまでまともに女性と付き合うこともなく終わった。酒の方をむしろ早く覚えてしまった。おかげで酒が入らないと、まともに女性相手に舌が回らなくなった。
 異常な中学高校生活の後遺症である。
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