『少年漫画』
(第41話)
広瀬裕敏
漫画は、小学校高学年から大学生にいたるまで、小遣いをなんとかやりくりして読んでいた。
当然週に何冊も買うことはできないので、そのとき一番「旬」な漫画誌一冊を定期購読した。
記憶をたどりたい。
小学校低学年のころは、親に月刊誌「少年」を買ってもらっていた。巻頭写真に、横綱昇進時の大鵬、柏戸が載っていた。
「鉄腕アトム」「鉄人28号」「少年ケニヤ」を、発売日に本屋の帰り道歩きながら読んで親にしかられた。
アトムは2003年生まれという設定である。あのころ21世紀ははるか未来であった。
小遣いで週間誌を買うようになって「少年サンデー」に移った。
「おそ松くん」「伊賀の影丸」「オバケのQ太郎」。
「おそ松くん」は、主人公の六つ子より脇役が活躍した。「チビ太」「イヤミ」「デカパン」などである。チビ太のくしに刺されたおでんが欲しくてたまらなかった。
中学高校は「少年マガジン」の時代である。
「巨人の星」「愛と誠」そして名作「あしたのジョー」。
浪人時代は「少年チャンピオン」か。
「がきデカ」「ドカベン」「男どアホウ甲子園」など。
私に、週に3百万部以上売り上げたという「少年ジャンプ」の時代はない。
大学生のとき成人誌に移った。今はなき「漫画アクション」である。
「じゃりん子チエ」「博多っ子純情」「花の応援団」。
そして大学の終わりに、つげ義春の全集と手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を単行本で読んで、漫画を卒業した。
結局手塚治虫に始まり、手塚治虫で終わった。
後年手塚治虫を見た。
ロシア人の接待で行った六本木瀬理奈で、手塚治虫はロビーのソファーに座っていた。ホテルに飛び込んできた私と2-3秒視線が合い、その眼光に圧倒された。
「アドルフに告ぐ」は、ベルリンオリンピックからゾルゲ事件、戦前の神戸、さらに戦後のパレスチナ戦争まで、あまりの壮大さに今後も多分映画化はできないであろう。当然この規模の小説を書ける作家も日本には居まい。
漫画に対する感謝と敬意を今でも失っていない。
|