『四畳半フォークの時代』
(第46話)
広瀬裕敏
根がはえたように実家で暮らしている。
清涼飲料水工場を閉鎖してマンションに立て替えた一時期と、ウラジオストクに駐在していた三年半を除いて、「浜の日本橋」の片隅を離れたことがない。
若い頃は当然下宿願望があった。
大学に入ると、ロシア語学科の同級生は、女子がほとんど親元から通っているのと対をなすように、男どもはほとんどが地方出身の下宿かアパート住まいだった。
大学が四谷にあったせいか、彼らのアパートはほとんどが中央線沿線だった。高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪のアパートを酔っ払って泊まり歩いた。
中村雅俊のテレビ番組「俺たちの旅」の舞台は吉祥寺だったが、長髪とベルボトムのジーンズと暑苦しいイメージは,我々も変わりなかった。
違うのは我が愛すべき友たちには、女性の影がなかったことである。酒盛り、麻雀に明け暮れ、大家によく怒られた。
唯一、ロシア語学科を中退して歯学部に入りなおしたAkは、ロシア語と中央線を離れることによって、すでに社会人の高校の同級生と自然につきあうとうになった。
芝居に青春をかけたKの部屋は本でうまっていた。痩身にドテラと日本酒の一升瓶が、本棚をバックに絵になっていた。
「同棲」に憧れつつも「神田川」は遠かった。
Abは、四年浪人して同級生になり、教員資格をとるという理由があったにせよ、五年かけて卒業した私よりも、さらに二年かけて卒業した。
就職して二年目の早春、Abから久しぶりに電話があった。下宿をたたんで金沢に帰るので、荷物を国鉄の駅に運ぶ車を出せと言った。多忙を理由に断ろうとしたが、結局金沢弁に言い負かされた。
下宿に行くとまだ何も荷物をまとめていなかった。難詰すると、これに放り込むだけだと、巨大な信玄袋を指差した。
二人でようやく持てる重さになった信玄袋を国鉄の窓口に押し付けた。なぜかそのとき、Abの長い学生生活と同じく、私の青春時代も終わったと思った。
大学時代に同棲経験こそなかったものの、デートの帰りに彼女たちを自宅まで送ることはよくあった。横浜とまったく逆方向でも殊勝に送り届け、そのあと友達の下宿にころがりこんだ。
大学一年のとき半年だけつきあった彼女は、池上線沿線に住んでいた。田園調布双葉出身の彼女は、青春をエンジョイすることに積極的な明るい娘だった。
彼女の家は線路のすぐ脇にあり、家に着いたあと、よく線路沿いの木の柵に寄りかかって話をした。
夏休みを過ぎてすぐ別れた淡い恋だが、西島美枝子の「池上線」は、大学時代の思い出が全部かぶってくる歌になった。
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