ハマっ子ノスタルジー

『初代テレビっ子(2)』
(第5話)
                              広瀬裕敏

 1960年代の小学生の男の子である。当然ヒーローものに熱中した。
 「白馬童子」は記憶にないが、「月光仮面」は鮮明に覚えている。
 男の子は皆、家から風呂敷包みをひっぱりだしてマントにした。誰も自分が月光仮面なので遊びにはならなかった。
 ほかに、「七色仮面」、松下電器の「ナショナルキッド」、江戸川乱歩原作の「少年探偵団」など。鉄腕アトムの実写版もあったが、あまりのダサさに人気が無く、すぐ打ち切られた。
 鉄腕アトムはやはりアニメがいい。ほかにアニメでは、「少年ケニヤ」「スーパージェッター」「ワンダー3」。
 日本製ドラマでは、やはり「事件記者」「七人の刑事」といった名作が記憶に残る。見ていても子供にはわからないことが多々あり、テレビの前で両親に質問しても、面倒くさいのか、まだ知らなくていいと言下に拒否された。
 「私は貝になりたい」はオンタイムで見た。C級戦犯の床屋さんの話である。
 小学6年生のとき、日曜ごと中学受験の進学塾に通っていて、同じクラスにフランキー堺の息子がいた。「貝になりたい」見たよといったら驚かれた。
 死刑が確定して、フランキー堺が「生まれかわったら深い海の底の貝になりたい」と泣いた。世の中にどうしようもない哀しいことがあることを、まだ知るすべもなかった。近親者に戦死者もいない幸運な家庭だった。
 そういえばヒーローもので、「怪傑ハリマオ」も好きだった。「まあっかな太陽オー」という三橋美智也の主題歌にのって、南国でサングラスをかけた主人公が悪党団に拳銃を毎回乱射する話である。
 手ぬぐいをかぶり、少年誌のオマケの色セロファンのサングラスをかけてハリマオになりきった。
 数年前映画になって、ハリマオが戦時中マレー半島で日本軍に利用された義賊であることを知った。
 戦後10年たって生まれて、「もはや戦後ではない」時代に小学生だった子供たちは、テレビからあふれる活力と逸楽に心置きなく浸っていた。
 当時の日常やテレビに、戦争の影があったのに気がつくのは、もう少し後になってからである。
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