放課後は
さくら野貿易
放課後のページ

ハマっ子ノスタルジー

       

       
『悪夢』
(第51話)

 本当の夢の話である。
 小学生の低学年までよく観た夢がある。
 昔の実家の寝室である。当時八畳と六畳の和室をつないで、両親と兄と川の字に寝ていた。そのふた間の部屋は道路に面して大きなガラス窓があった。そこで私だけ原爆が落ちるのを予感するのである。
 原爆の光を浴びたら死ぬという知識があり、窓の下のわずかな壁面に隠れて寝そべっている自分が居る。広島長崎のピカドンという単語は、子供心に恐ろしい終末の合図だった。
 家族に知らせなくてはと思いつつ、すぐに訪れるだろう光が怖くて、窓の影から動けずにいるのである。
 目覚めると、自分が助かることしか考えていない自らの深層心理を見せつけられた思いで、苦い自己嫌悪だけが残った。
 ケネデイ暗殺の第一報は、本牧間門の友人の家のテレビニュースで触れた。それ以前のキューバ危機など記憶にも無いが、原爆の恐ろしさは語りつがれ、第3次世界大戦の可能性を誰もが口にする時代だった。
 同様に大学を卒業して30歳くらいまで何度も観た夢がある。
 舞台は早春の大学のメインストリートの案内掲示板の前である。
 ようやく卒業できると弾む心で掲示板の前まで来て、掲示板を眺めているとき、なぜか取得単位を計算間違いして、卒業できないことに気づく。なんとか姑息な解決方法に頭をめぐらす。内定した会社をごまかせないかとかいう類である。自ら冷静になれと励まし、そのうちこれは夢なのだと気づく。
 大事な大会でサッカーをしている。
 スコアは0対0で終盤まで来て、ゴールキーパーである私は自らの出来に満足していた。相手フォワードが当たりそこねのシュートを打ち、私は簡単にとれて終了のホイッスルは鳴ると思っていた。そのとき急に脚が動かなくなるのである。ボールは私の脇をころころと転がりゆっくりゴールに吸い込まれる。
 チームの仲間の沈黙と白い目がつきささる。唯一キャプテンが肩をたたき、マネージャーが同情の眼をむけてくれる。
 横浜元町でデートをしている。
 相手は小学校のときのマドンナだったり、銀座のクラブのママさんだったりする。
 綿密にスケジュールをたて、レストランも決めている。ところがそのレストランが見つからないのである。元町の通りと山手の坂道を行ったりきたりして、汗だくになっても見つからない。
 最初は笑顔で後をついてきてくれた彼女も、そのうち険悪になってくる。一度山手に上った坂道を降りると、違った町になっていたりする。元町にいるはずのない近所のおばさんが、そんなレストランはないと宣言する。
 彼女とももう終わりかなと、呆然と立ちすくむ自分が居る。
 人に追いかけられる夢も観る。
 それは入り組んだ街中であることが多い。直線では体力的に自信がないので、角々をギザギザに逃げていくのである。
 それは心ならずも食い逃げしたときの中華街での逃げ方だった。数人で食事が終わり店をでたとき、誰も会計をしていないのが判り、突然皆で走り出した。罪滅ぼしにもならないが、その店にはその後20年間にわたり夏冬二回宴会を続けた。
 夢はいつも疲れる。

【掲載作品一覧】