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ハマっ子ノスタルジー

       
サンクトペテルブルグ
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夜行列車
(第54話)

 夜行列車が好きである。
 夜行列車の出発駅の風景も好きで、上野や新宿で飲んだ帰り、夜行列車に乗り込む人たちのふるさとや人生を想像したりする。横浜の人間にとって、夜行列車でつながれるふるさとの存在はうらやましくもある。
 私にとって夜行列車は楽しい旅の幕開けだった。帰りの列車の記憶は残っていない。

 最初の夜行列車の旅は、中学二年生のときに母と二人で行った、会津裏磐梯のパック旅行だった。
 上野で乗ったB寝台の三段ベッドの最上段で、向かいのベッドに寝ている同年代の女の子を意識した。猪苗代湖畔のみやげ物屋で、黛ジュンの「天使の誘惑」が流れていた夏だった。
 中学が終わった春休みに、友人四人と大阪万博を観にいった。
 大垣行きの普通列車に乗り、早朝大垣で接続する大阪行きに乗り換えた。
 万博会場には4日間通い、すべてのパビリオンを観た。行列の途切れないアメリカ館、ソ連館には一回だけだが、清楚なアメリカ人女性が居た「モルモン教館」には毎日顔をだした。これが最終日だと言うとモルモン経典をくれた。
 夜は会場周辺のカトリック教会に頼み込み,付属の幼稚園の板の間に寝た。ハタ迷惑な悪童たちだった。
 高1の夏に、国鉄周遊券を利用して北海道を15日間旅した。確か6千円程度で15日間特急列車以外乗り放題だった。
 知床まで友人と行き、ウトロのユースホステルで分かれて、北海道を一人旅した。なにしろユースホステルが一泊二食つき600円の時代である。
 高2の夏、今度は九州を周遊券で一人旅した。最後の訪問地長崎でカネが尽きて、万博記念コインを質に入れた。ユースホステルは700円に上がっていた。
 高校を卒業して何度か友人と北アルプスに行った。
 新宿駅で酒を買い込み、車中ずっと賭けトランプに興じた。ついには山小屋まで勝負を延長し、起きたときは我々のほか誰も居なかった。山に登る資格も無いと反省した。
 以上が学生時代の夜行列車の旅の記憶である。
 社会人になって、ロシアの夜行列車に仕事で何度も乗った。
 モスクワとウクライナのザパロージェ。モスクワとベルゴロド。モスクワとレニングラード(サンクトペテルブルグ)。そして極東のハバロフスクとナホトカ、ウラジオストク。
 当時の出張は、食料品や書類をつめたダンボール箱を何十個も運ぶ旅だった。女の車掌に「ここは貨物車ではない」と咎められ、日本製のパンストを渡してごまかした。
 やはり仕事で、新疆ウイグルのウルムチから敦煌の北のハミまで、天山山脈を越える夜行列車に乗ったこともある。ウルムチの駅で列車に乗り込むとき、トランクが開いて荷物をばらまき苦労した。
 なんだか散漫な話になった。
 夜行列車の楽しみは、向かい合わせの席についてすぐツマミを広げ、旅の始まりを祝して杯を重ねることもさることながら、朝起きたときの車窓から見る風景だろう。
 北海道に行ったときは東北の山並みが、九州行きの朝は瀬戸内海の静かな海が広がっていた。
 ロシアの列車では、ウオトカを飲みすぎて、終着駅についても熟睡していたこともあった。
 また寅さんのように遠い町へ各駅の旅がしたいものである。

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