『隠れファン』
(第55話)
私は芸能人の「追っかけ」をしたことはない。コレクター趣味もない。
ただ人並みに、あるいは時にマニアックに、その時代ごとに好きなスターが居た。
メキシコオリンピックのときのソ連の体操選手にナタリヤクチンスカヤという少女がいた。その年のチェコの自由化闘争をソ連が封殺したことで、チェコの女王チャフラフスカを観客が後押しし、クチンスカヤにはブーイングの嵐だった。しまいに彼女は泣き出してしまった。
暗いソ連のイメージと裏腹に、清楚な少女の涙はいとおしかった。初めて新聞の写真を切り抜いた。
その頃洋画ファンだった。
オードリヘップバーンの全盛期で、雑誌「スクリーン」の人気投票で彼女は常に一位だった。ほかに人気投票の常連は、クラウデイアカルデイナーレ、カトリーヌドヌーブといったきれいどころだった。
ゼツフィレッリ監督の「ロミオとジュリエット」が封切られ、わずか14、5歳のオリビアハッセーの美貌に驚愕した。
たた一作で人気ランキングの二位を4、5年続けた。いかにも日本人好みの美貌だった。
高校のとき、あまりにメジャーすぎて公言するのも恥しいが、やはり南沙織は可愛かった。
ストレートな黒髪と小麦色の肌は沖縄を体現していた。まだ沖縄がビザが無いと行けない遠い国だった。
高校生活が終わるころ、栗原小巻が好きだった。
映画「忍ぶ川」を何度も観た。モノクロの深川や浅草の風景に彼女の着物姿がなじんでいた。
当時私のペンネームやコードネームは「栗原大巻」だった。
大学時代、酒の席の話題に好きなアイドルを挙げねばならず、キャンデイーズのランちゃんのファンということにしていた。
ドリフターズの番組のコントの彼女が秀逸だった。
彼女は私と生年月日がまったく同じで、同じ星の運命ということで、彼女がフツーの女の子になった後の幸せを祈った。
テレサテンも好きだった。パスポート偽造で日本にしばらく入国できなかった時期で分けると、むしろ前期のほうが好きだった。
あの丸顔と、息継ぎのとき少し声がひっくりかえるのが可愛かった。
後年、天安門事件に対する香港での抗議集会で、彼女はジーパン、ノーメイクで歌うのをニュース番組で観て、惚れ直した。
さらに後年、テレサテンそっくりの銀座のママに恋をした。彼女は私の動機を笑っていた。
この頃から、単に美人とかカワイイとかだけでなく、ファンになるのに他の要素が必要になってくる。
高峰秀子のファンというのも年齢的におかしな話だが、彼女の自伝「私の渡世日記」を読んで、丸顔美人というだけでなく、彼女の潔い性格と半生が俄然好きになった。
「二十四の瞳」から「カルメン故郷に帰る」、さらに「秀子の車掌さん」と年代を遡るように、彼女の作品を探して見るようになった。
中島みゆきも長いファンである。
カラオケスナックでほかに客がいないとき、中島みゆきの暗い歌特集を強制することがある。
単に失恋の暗い歌というだけでなく、彼女の詞の暗喩に瞠目している。
丸顔美人でなくとも才能に恋したのである。
そして向田邦子。
70年代、ホームドラマのシナリオライター全盛期だった。倉本聡、山田太一、早坂曉。
そしてビデオも無い時代、向田邦子のドラマをテレビで観るために家に帰った。
彼女のエッセイを読んでその才能に驚き、四谷から赤坂の「ままや」に通った。
やがて彼女は台湾の空に散り、残された作品を何度も読み返した。
ついには彼女の映画雑誌編集者時代の写真を見て、昭和30年代の彼女に恋した。
ファンであることが時代を超えるようになった。
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