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ハマっ子ノスタルジー

       

       
 『通訳の先達』
 (第57話)
 
 長いことロシア商売をやっていながら、いまだにロシア語がうまいとは言えない。

 学生時代の不勉強の報いもあるが、そもそも外国語に対する才能も愛情もない。
 一応合弁会社の副社長を経験し、強引にロシア人と会話や交渉を成り立たせてきたが、相手のロシア人にはいい迷惑だったろう。
 発音も構文もまったく日本語的で、私が何を言いたいのか、かなりの想像力が必要だったに違いない。その点、英語圏の人間と違い、外国人の話すロシア語にロシア人は寛容だった。
 一度私が技術者の通訳をしたとき、一段落したあと技術者が私に尋ねた。
 「広瀬さん、よくえーとていうのが聴こえるけど、それどういう意味なんですか」
 「えーとは日本語の合いの手です」
 その程度の実力だった。
 このような体たらくで、結局若いころ、たくさんの通訳の方にお世話になった。
 その方たちの思い出話である。
 水産会社に入社当時、前の席にYさんがおられた。元商社マンで、引退後嘱託として働かれており、専門の通訳ではなかった。
 「なにやらようわからへんけど、あきまへんゆうてますわ」
 ビジネスの通訳は要は意味が通じればよいのだと教えられた。
 河内弁のひょうひょうとした口調は、80を過ぎて現役の今もご健在である。
 Fさんは、南氷洋の鯨肉買い付け事業の通訳だった。毎年半年間母船に乗って南氷洋に行かれた。
 出港時Fさんの船室でコーヒーをご馳走になって、本の束を見た。
 「南氷洋まで行き帰りの2ヶ月は通訳はやることないからね」
 Fさんは嬉しそうに笑って言った。
 いつか私もFさんに代わって行くことを夢見つつ、捕鯨は終わった。
 後年Fさんは捕鯨に関するノンフィクションを上梓された。
 Hさんは上司が契約したプラントサイトの通訳だった。
 私は役に立たないサブの通訳兼名目的な会社の代表として、ウクライナのサイトでご一緒した。
 据付が終わってモスクワに帰ったとき、郊外のロシア正教の教会に連れて行ってもらった。
 まだバリバリの共産主義の時代、教会は目立たぬようにひっそりと建っていた。
 ベールをかぶった女性信者の祈りを邪魔しないよう、またKGBの眼を恐れつつ、教会の片隅に二人で立っていた。
 後年Hさんは別の会社の大型建機の検収現場で事故にあわれた。
 告別式に町屋のご自宅を訪れ、下町の風景とロシア語通訳を選択した彼の人生の結びつきに思いを馳せた。
 名エッセイスト、米原万理さんにも前の会社は通訳をお願いした時期がある。
 最高レベルの同時通訳の彼女は、私の仕事とは関係しなかったが、上司の代表団に同行していた彼女とモスクワでよくご一緒した。
 彼女の語学力、頭の回転の速さに驚愕しつつ、同時に酒の席の毒舌に閉口した。
 一度井上ひさしの芝居に連れて行ってもらった。芝居がはねたあとの飲み会で、ちゃんと人を見て毒舌を吐いていることを発見した。
 花見のあと、彼女は参加者みなの手相を診るといった。各々容赦のない人物評にさらされたあと、私の番になった。
「君は頭はいいけど早死にするね。広瀬君の短い人生に乾杯」
 彼女の方が、あふれる才能をおしまれつつ夭折した。
 そして入社して最初にお世話になったKさんも最近急逝した。
 私がまだ何の役にも立たず、東京で連絡役をしていたころ、Kさんは南ロシアのプラントサイトでのべ一年以上通訳として働かれた。
 責任感の強いKさんは、通訳の職務を超えて、現場でのロシア側の不正を追求し、交渉の矢面に立たれた。結果的にしばらくロシアのビザの発給停止をくらうという傷を負われた。
 Kさんは愛媛の田舎の中学を卒業されたあと、工員として働かれ、戦後共産党に一時入党された。その縁でほぼ独力でロシア語をマスターされ、さらにポーランド語も習得された。亡くなる直前まで政府間漁業交渉の通訳をされ、現役のまま亡くなった。
 近年小学校の同級生が故郷の村の村長になって相談を受けたとかで、村の産品をロシアに売れないか相談に来られた。まったく役にたたなかったが、それでもこんな若造にその後もよく声をかけていただいた。
 急死の報を聞き、お通夜に向かったが、一報を聞いたとき動揺していたらしく、完全に日取りを間違えていた。
 横浜から遠い青梅の駅のベンチで私は呆然と座っていた。青梅駅は、古い日本映画のポスターが飾られるなど昭和の雰囲気で統一されており、古い日活のポスターを眺めつつKさんの人生に思いを馳せた。
 一時帰国されたときのKさんの話を今でも覚えている。
「男が昔好きだった女と出会った。女は自堕落な生活をしていて、さらに男がまだ自分が好きだということがわかって、女は男をあざ笑うかのように、自分が堕落していることをこれでもかと男に見せ付ける。それでも男は女の良いところを見出そうと、女を見続ける。
 広瀬さん、ロシアとつきあうということはそういうことですよ」
 Kさんも、ほかの通訳の先達も皆誠実に人生を歩まれた。

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