『ウクライナの看護婦さんの話』
(第62話)
ロシアには商売上痛い目にもあったが、決定的に憎めないのは何人かの親しいロシア人による。
その中にもちろん女性たちもいる。本編は第2話、第6話に登場したウクライナの看護婦さんの話である。
ウクライナの田舎町の病院を退院する日、担当の若い看護婦さんにお礼を言いにいったとき、彼女に「礼はまた後で聞く」と言われ、にぶい頭でこれはデートに誘えという意味だと悟った。
次の週末ドニエプロ川の遊覧船に誘われた。最初は彼女の先輩看護婦の同伴つきだった。4月末の川面の風は充分に暖かだった。
彼女は父親が白ロシア人、母親がウクライナ人だと言った。といってもロシア人と区別がつくわけではない。スラブ系特有の十代のスリムすぎる体型からようやく肉がつきだした21歳の若さだった。
髪は栗色、眼はブラウンで、いつも着ているベージュ色のミリタリー調ブラウス、同系色のタイトなスカートは、それなりに髪の色とコーデイネートしたものだろうか。
ソ連時代のウクライナで満足にストッキングもなかったのだろう、サンダル履きの素足が埃で汚れているのがいじらしかった。
一度公園を歩いていたとき、彼女は犬の名前でも訊いたのだろうか、犬を連れた老人に声をかけた。老人は「なんときれいな娘さんだろう」と彼女を見て言った。彼女はその賞賛に何の反応も示さず、犬をかまった。
彼女は日本のことをいろいろ私に訊ねた。日本は紙の家だと聞いたがどんな家にすんでいるのか。休みの日には何をしているのか。彼女の質問に拙いロシア語でひとつひとつ答えた。
私は、日本人は違和感ないのかと訊ねた。この町には外国人の留学生がたくさん来てるから、というのが彼女の答えだった。
ただ私も、この町にプラント建設の仕事で来ていて、据付を依頼して同じように来られたメーカーの方たちとの付き合いもあり、そう頻繁にデートを重ねることもできなかった。彼女の先輩から、彼女と会いたくないのか、とお叱りの電話ももらった。他の出張者に頭をさげつつ、彼女との待ち合わせ場所に行くと、彼女はペンダントを口にくわえて待っていた。口を開けば非難がましい言葉がでてしまうと思ったのであろう。
プラントがようやく引き渡され、その町を出る日が来た。彼女も彼女の先輩もモスクワ行きの駅に見送りに来た。
帰国後彼女への手紙で、夏にモスクワに出張する旨を伝えた。年間契約しているホテルのフラットの電話番号も書き添えた。
モスクワに着いて何日か後、電話をとると彼女の声だった。休暇をとってモスクワに来て親戚の家に泊まっているという。私はあわてた。モスクワはまだ2回目の日本人と、ウクライナの田舎町の女の子である。ホテルは一般のロシア人の入場を厳しく制限していた。適当な待ち合わせ場所もわからず、結局赤の広場のレーニン廟のそばで待ち合わせた。
まだ日の高い夕方、彼女が微笑みながらゆっくり歩いて来るのが見えた。私は再会を喜ぶ反面、モスクワで見る彼女にとまどっていた。
ホテルの日本食レストランに連れて行った。彼女は初めての日本食をおいしいと言いつつ、居心地が悪そうだった。
結局モスクワでも時間のやりくりに苦労し、3回しか会うことができなかった。彼女が私に好意を持っていることはわかっていた。もちろん私も彼女に好意を抱いていた。ただ「日本に来ないか」とひとこと言う勇気が無かった。彼女は「モスクワは好きではない」と言った。ウクライナの田舎町から見て、モスクワのさらにかなたに日本がある。
彼女が帰る日が来た。今度は私がウクライナに向かう駅まで見送りに行った。彼女は私にキスして列車に消えた。
帰国後何度か1ヶ月はかかる手紙のやりとりをした。何通目かの手紙で彼女が医者と結婚したことを知った。「結婚したけどほかは全く変わっていません」そう記されていた。
ソ連が崩壊した今でも看護婦さんをずっと続けているに違いない。歳からいってきっと、きついけど優しい婦長さんになっているのだろう。
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