放課後は
さくら野貿易
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ハマっ子ノスタルジー

       

       
 『新入社員(4)イベント』
 (第72話)

 昔の会社にはイベントが多かった。
 毎日のアフターファイブの楽しみの他に、様々な行事があり、新入社員は参加を強制された。もっとも宴会好きの私には強制は不要だった。
 最初のイベントはメーデーだった。
 5月1日が会社の休日なのがそもそも驚きだったが、メーデーの集会に新入社員は全員参加だと組合の役員に動員をかけられた。
 代々木公園の集会が終わって、散歩のようなデモ行進が新宿まであり、流れ解散のあと先輩に誘われて歌声酒場に行った。
 さすがにメーデーだけあって超満員だった。五木寛之の学生時代にタイムスリップしたような空間は、初めてながら懐かしさのようなものを感じた。
 渡された歌集はロシア民謡も多かったが、インターナショナルやワルシャワ労働歌は歌われることは無かった。
 秋に貿易一部という部の社員旅行があった。土曜の朝会社に集合し、大型バスに乗るとすぐ酒瓶がまわってきた
 私の課だけ個室だったこともあり、部長や個室の小宴会に顔を出す一部の人以外話す機会も無かったので、緊張するかと思いきや、すぐに酒がほぐしてくれた。
 酒をつがれるままとにかく飲んだ。
 小さなドライブインに寄った。酒もまわって男子部員全員が危急を要しているのにトイレの数も足らず、やもえずドライブインの建物裏で立ちションをして、厨房のオバサンに水をかけられた。
 部の旅行は、その部が機構改変でなくなるまで続き、必ず参加した。
 ナホトカの出張帰りに駆けつけたのは3年目だった。
 確か4年目は伊豆だったが、日曜日台風に追われ、小田原で解散したのだが、神奈川在住組は相模川が氾濫して渡れず、平塚の木賃宿でもう一泊することになった。弱まっていく雨音を聞きながら皆この椿事を楽しんだ。月曜そのまま私服で出社した。
 公式行事ではないが、夏に新入社員の同期ほぼ全員で富士急ハイランドに行った。
 同じロシア語出身のSは一年だけ管理部門に配属されていた。皆で船が前後に大きくスイングするだけの遊具に乗ったとき、私はすぐ船に弱いことを再確認した。高校のとき屋久島行きの船の上で吐いたときから進歩がなかった。ところが対面して座ったSは平気で揺られながら写真を撮っていた。
 二年目に満を持してSはロシア部門に来て、私と住み分ける形で、船に乗る仕事を多く受け持った。
 12月30日の御用納めは、各部ともきれいに片付けた机の上につまみを並べて酒盛りを始めた。あいさつにまわれば、すぐになみなみ注がれたグラスを渡された。
 1月4日の初日は顔見世だけだった。オーナー社長の訓示を放送で聞き、女子社員の振袖姿をまぶしく見て、すぐに麻雀の誘いに会社を飛び出した。
 二月はスキー部と組合のスキーツアーが二回あった。
 一度スキーを担いでいった金曜日に、次の日曜日に出張予定の上司のソ連のビザがなかなかおりないという問題が起こった。
 私がいてもどうなるわけでもないのだが抜けるわけにもいかず、会社の前から出るバスに荷物を放り込んで残った。
 ソ連大使館の水産担当に頼み込んで解決したのが八時過ぎ、電車で追ったが草津までたどりつく手段も無く、高崎の駅前旅館で一泊した。
 次の日の早朝ホテルに着いてあきれられた。
 イベントごとが大好きだった。
 
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