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ハマっ子ノスタルジー

       
      

     
 「国鉄攻防戦」
 (第92話)

 昔国鉄はエラそうだった。
 駅員はニコリともせず、特に悪童たちをキセル常習犯ではないかと疑いの眼で常に観ていた。
 その疑いはあながち間違いではなかったが、乗せてやってるんだという姿勢は、私鉄職員にはない役人臭にあふれ、悪童たちの対抗心に灯をつけていた。
 私の中学高校は鎌倉市大船にあり、横浜から大船まで東海道線か横須賀線を利用していた。
 学校は大船駅から歩いて20分の山の上にあった。すなわち大船駅には始業20分前に到着する必要があった。
 深夜放送で慢性的睡眠不測の高校生に余裕などない。常にギリギリの電車に乗っていたが、よくその電車に乗り遅れることがあった。
 ギリギリの電車に乗り遅れた場合、方法が三つあった。
 ひとつは10分後の次の電車に乗って、残り10分ダッシュで山道を駆け上がるのである。これは疲れた。
 二つ目の方法は、隣の山にあったS女子学院行きのバスに乗ることである。このバスは別にスクールバスではなく、私の学校の前にもちゃんと停留所があった。
 ドイツ人の校長は、生徒の健康のためだと、このバスに乗ることは禁止していた。それはそれとして女子中高生で満員のバスに一人だけ男が乗るのである。一度だけ乗って、突然の「異物」を無視するか、逆に凝視する女子高生たちに閉口して、この方法は選択肢からはずした。
 三つ目の方法の話である。
 ギリギリの電車とその10分後の電車の間に急行電車が走っていた。これに乗れば多少の早足で間に合うのである。
 ところが急行電車は定期券は通用せず、さらに急行料金をとられる。その額は大船の松竹側(駅の反対側をそう称していた)の中華料理屋の餃子ライスに匹敵するのである。
 そこで横浜で急行に乗り込んだあと、検札の車掌との鬼ごっこが始まる。同じ制服の生徒が車内を移動していると、それは検札がこちらにむかっていることであり、同じように移動することになる。大船まで15分間を逃げ切ればよいのである。
 トイレは当然のように埋まっている。他の生徒が大船までじっとしていようというハラなのである。
 車掌が乗客全員を検札していると逃げ切れるケースが多かったが、わが校の変わった制服の生徒を目標にしてくる車掌もいた。先頭車両まで追い詰められ一網打尽にされたこともあった。
 急行電車内で、同じ学校の生徒同士の金の貸し借りも、暗黙の合意事項だった。一度一銭も持っていなかった下級生が、車掌を連れて私のところに来て、私も払わされる羽目になったことがある。彼はこの冒険が初めてだったのだろう、泣きそうな顔をしていて、巻き添えを怒ることもできなかった。
 何か考えごとをしていたのだろうか、朝の東海道線の網棚の上に学生カバンを置き忘れたことがある。
 その日の授業にはさして支障はなかったが、駅の事務室で「学生が学生カバンを置き忘れるとは何だ」としかられた。結局帰りに小田原駅まで取りに行き、ホームの事務室で「ちゃんと往復のチケット払えよ」釘をさされ、ショックでその日は素直に従った。
 高校生も終わりのころ、関内駅で友人がキセルでつかまり、私が加担した。
 私は関内まで定期券があるので、私が改札をでたあと、構内にいる友人に定期券を投げて渡し、その現場を見られたのである。放物線を描く定期券を見られたのだから、言い訳のしようがなかった。結局両方の親が呼ばれた。
 高校をでたあと、新宿駅で連れの友人が鉄道捜査官に連行されたことがあった。新宿駅の待ち合わせ場所が不明確で、定期券で出たり入ったりしていたのを見咎められたのである。捜査官はかなりキセルの確信をもって、友人をかかえるように連行した。「お前は外で待ってろ」と言われ、鉄道警察事務所の前で待っていた。やがて疑惑が晴れて「もう帰っていい」と捜査官は言った。私が「何だその言い草は」と、関内のかたきを討つようにつっかかると、「もう帰っていいです」と「です」をつけた。疑惑をもたれた友人が、さらに文句を言おうとする私をとめた。
 国鉄がJRになって、私鉄なみのサービスになって、ある意味つまらなくなった。


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