「指定席」
(第93話)
小学校三年の席替えで、当時好きだった女の子の隣に座るよう、担任の女性教師に指示された。
その先生は兄の担任でもあったから、多少のヒイキがあったのかもしれない。
足と手が同時に前にでるようにぎこちなく席についた。先に席についていたその女の子は「広瀬君か、まあいいわ」とだけ言った。
彼女は小学校一年生のときから評判の美少女だった。三年生で同じクラスになっただけでも嬉しかった。
四ヶ月だけ席を並べて、彼女がようやく私に好意をもちだしたころ、私のほうがなぜかさめた。
五年生からクラスも別になって、中学校から会うこともなくなった。彼女は学校を卒業して、当たり前のようにキャビンアテンダントになったことだけは同窓会で友達に聞いた。
こうした気持ちの行き違いは、その後も習慣のように繰り返すが、今はその話ではない。
小学校六年生のときに、クラスのガキ大将と最前列の端の席に並んで座らせられたことは既に書いた。これが人生において最前列に座った唯一の経験である。
高校二三年生になって、生徒が自分で席を決められるようになると、当然のごとく最後列に座った。
席決めは座高も多少は関係していたが、授業に対する熱意の順番でもあった。
Oはあまり背は高くないのに、最後列の席を希望した。
後ろの席の連中は、私を含め、早弁は当たり前だったが、Oが授業中に電気ポットで持参した一合ビンを熱燗したのにはあきれた。さすがに勧められても授業中に呑む度胸はなかった。
Oは現役で早稲田に行った。「熱燗してやがったくせに」と浪人仲間からは顰蹙を買った。
高校三年の修学旅行は東北で、ほとんどがバスの移動だった。われわれの仲間はバスにおいても後部座席を占拠した。二日目からは 宿の酒盛りの疲れでひたすら寝ていた。宿につくと復活するのである。
前の方の席で、女性にに対する免疫のない連中の(私も実はそうだったのだが)、バスガイドの女の子と話したとか写真撮ったという報告を宿で聞いた。そうした話を聞いても前の席に座ろうという気にはならなかった。
大学の授業も高校の延長だった。ロシア語などを選択した報いである。教授になるだけ指されないように、首をすぼめて授業が終わるのを待った。
ある授業で、レニングラード大学出身のロシア人講師が、私の仲間を指すとき、「そこのカムチャツコエメストのキミ」という言い方をした。
「メスト」は「場所」という意味である。はるか後ろの席を、旧都サンクトペテルブルグから遠く離れたカムチャトカに例えたのである。地方出身の仲間は、地域差別だと笑っていた。
後年水産会社に入って何度もカムチャトカに行った。自然も人情も、みないいところである。
カムチャツコエメストも悪くない。
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