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ハマっ子ノスタルジー

       
 

     
 「田中邦衛の三つの役」
 (第98話)

 「若大将」の世代から少し遅れて生まれている。
 劇場でシリーズの一作を観たのは、百五十円三本立てといった確か黄金町の場末の映画館で、観たかった映画のオマケだった。
 加山雄三のファンではなかったが、画面に大写しされたマドンナ役の酒井和歌子は凝視していた。
 当時女優がアイドルだった。吉永小百合ははるか上の世代の絶対的マドンナで、私の世代にとって酒井和歌子と内藤洋子が人気を二分していた。
 もっとも中学生が公言するのは恥ずかしく、親友の家に行って、彼の部屋の酒井和歌子の大きなポスターを見て、ほかの男も同じなんだと初めて安心した。
 さらに余談だが、同世代でも加山雄三ファンがいるんだと感心したのは、後年会社員になって研修合宿のときである。
 同期の一人が、海が好きなのが水産会社への入社動機で、加山雄三の大ファンだと自己紹介した。
 彼は余興として、加山雄三が自分のクルーザーを歌った「幸進丸」をアカペラで全部歌いきった。
 私はといえば、老舗の息子で二枚目でシポーツ万能、正義漢でとじかくモテる主人公にとても共感などもてなかった。素直に楽しむ余裕などなかったのである。
 「青大将」田中邦衛の風貌は、役柄のブルジョアのドラ息子からは対極にあるものだった、もちろんだからこそ田中邦衛を配役したのだろうし、かなり卑劣な手段でマドンナに迫る田中が観客から心底憎まれることはなかった。
 若大将シリーズの最後のほうとダブる形で、1966年テレビで「若者たち」が放映された。
 私はTV版も67年の映画初回作もオンタイムで観ていない。第三作「若者の旗」をやはり場末の三本立てで観て、さかのぼるように全三作を観た。
 田中邦衛は、両親をなくした兄弟五人の長男役である。長男次男(橋本功)が肉体労働で、三男(山本圭)四男(松山省二)を大学に通わせるために苦労する。
 山本圭の淡い恋人役で栗原小巻が、長女役の佐藤オリエの恋人役で石立鉄男が出演している。俳優座養成所の連中である。
 田中邦衛はいつも真剣に弟たちととっくみあいの喧嘩をしていた。ひっくりかえされたちゃぶ台の脇で佐藤オリエがいつも泣いていた。
 私はその愛情の濃さにコンプレックスに近い感情を抱かざる得なかった。まだ日本が貧しさの中で支えあっていた時代だった。
 主題歌は後年社会運動の集会でたまに聴いた。岡林信康の歌よりよりさらにクサいと口では言っていた。ただ酒井和歌子ファンだと公言できなかったように、その時代は言えなかったが、この歌と、聴くとすぐに連想される兄弟愛がたまらなく好きだった。
 TV「北の国から」で久しぶりに田中邦衛を観た。
 「若者たち」で兄弟に向かっていた彼の大量の愛情が、純と蛍に向かっていた。
 壮年期は怒りもしたが、年とともにどうしようもできない哀しみを受け入れるようになる。
 純の恋人宮澤りえに「やっぱりだめなのかい」と秘湯でやさしく語りかける。
 そのときの哀しい目は、若大将にやりこめられた青大将の目と同じだった。
 田中邦衛は、戦後昭和の不器用な人間を演じ続けてくれた。
 
 
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