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ハマっ子ノスタルジー

       
 

     
 「スーちゃんとIk君への哀悼」
 (第99話)

 スーちゃんへ。
 キャンデイーズは私にとっても青春でした。
 いまだに自慢にしているのですが、私はランちゃんと生年月日が同じです。
 キャンデイーズのデビューは私の浪人時代、後楽園引退コンサートは大学4年の春でした。
 私がファンと公言するようになったのは、ランちゃんが初めてメインボーカルをとった「年下の男の子」からですが、本当はランちゃんと生年月日が同じだと知ったときからかもしれません。
 私は運命論者ではありませんが、知ったとき以来、ランちゃんとその妹たちの幸せを望んでいました。
 貴女たちは確かにアイドルでしたが、性的対象とはちょっと違っていました。ランちゃんに色気を感じると言いつつも、彼女は私の分身のような気がし、ミキちゃんと貴女は妹のように見ていました。
 「年下の男の子」は、私がちょうど大学に入った春のヒット曲で、ロシア語学科の落第危機に苦しめられながらも、青春を謳歌した学生生活の節目ごと、貴女たちのヒット曲が流れていました。
 「春一番」で新学期を感じ、「夏が来た」「暑中お見舞い申し上げます」で長い夏休みを過ごしていました。
 貴女たちは、ナベプロの威力なのか、テレビを観ればすぐ会える存在でした。
 ドリフターズの体操コントで、貴女はうまくマット運動ができず、よく仲本工事の顔を大きなお尻でつぶしていましたね。貴女はドンくさいけど可愛い妹そのものでした。
 「普通の女の子に戻りたい」という引退宣言は私は当然のことだと思いました。いつまでたっても芸能人ズレしない貴女たちには自然なことでした。
 貴女は復帰して立派な女優さんになりました。「黒い雨」も観ました。「ちゅらさん」のお母さん役もよかった。
 夏目雅子のお兄さんと結婚したことは知っていましたが、貴女の癌患者支援活動は知りませんでした。
 そして貴女の訃報。
 告別式で流された貴女の肉声テープは感動しました。
 自分の死期を前にして被災者を思いやる心根、女優を続けたかったという心残り。
 「特にランさん、ミキさん、ありがとう。二人が大好きでした」
このくだりで嗚咽をおさえることができませんでした。
 私のほうこそありがとうございました。

 Ik君のこと。
 Ikは横浜のK小学校から麻布中学高校に進み、浪人時代よく遊んだ。
 2010年秋、K小学校から私と同じ中学高校に進んだKrから電話が入った。Ikが末期癌で私に会いたいとのことだった。
 約30年ぶりに浪人時代の遊び仲間でIkの自宅付近のレストランで会食した。
 どうもK小学校同級生のマドンナに会いたいというIkの希望を、K小から教駒に行ったKdがかなえ、私はそのオマケ第二段だったようだが、中学予備校時代や大学浪人時代の昔話に弾んだ。
 Ikは数十年たっても温厚だった。麻布に入ったのは奇跡だったと、からかわれながらも笑顔を絶やすことがなかった。
 昔話のついでに「浜っ子ノスタルジー」を印刷して、また見舞いに行くというKrに託した。
 それを受け取ってIkは、携帯メールから感想や自らの思い出を送ってくれた。毎回かなりの長文で、横浜にあったトロリーバスや伊勢佐木町のスイーツの話で盛り上がった。
 メールは7回続き、やがて途切れ、お見舞いから1ヶ月あまりで逝った。
 
 Ik君へ。
 キャンデイーズのスーちゃんが亡くなりました。なんだかそれを報告したくてこれを書いてます。
 君が死んでから半年あまり経ちました。
 君のお通夜のあとの話は聞きましたか。君のK小の同級生と浪人仲間が合流して、遅くまで君の話で盛り上がりました。
 私が君のメールのコピーを見せ、君の初恋(かどうかは知らないが)の人は、内容より携帯からあんな長文をうったことに感心していました。
 浪人時代は本当によく遊びましたね。
 一度西麻布界隈で君とほかの麻布の連中と麻雀をしたのを覚えています。そのうち一人は中学三年生で、麻布の奔放さに感心しました。
 その中三の遊び人に君が激怒しました。理由は覚えていませんが、君が怒ったのは、それも一瞬のことでしたが、後にも先にもその一回だけで、それで今でも覚えているのです。
 君はいつも笑顔で温厚でした。プライドと自己愛だけが強い進学校あがりの中では異質な存在でした。
 もっともそんな評価をされても、君は苦笑を返すだけだろうけど。
 誰かが人は二度死ぬと言いました。一回目は本当の死、二回目はその人のことを誰も思い出してくれなくなったときだそうです。それも生きてる人間の理屈だけかもしれません。
 そっちでスーちゃんに会ったら一緒にカラオケにでも行ってください。
 スーちゃんは気軽にキャンデイーズの歌を歌ってくれるそうです。

 
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