放課後は
さくら野貿易
放課後のページ

さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第11葉(巻14・3386)
 鳰鳥にほどりの 葛飾かづしか早稲わせを にへすとも そのかなしきを に立てめやも

 鳰鳥におどり葛飾かつしか早稲わせを神に捧げまつる日であろうとも、いとしい人を外に立たせておくことなどできましょうか。

 現在の千葉県
流山ながれやま市のはずれに、鳰鳥公園という名の小さな憩いの場があります。そこに、この歌碑が立っています。これはいわゆる東歌あずまうた、東国で詠まれた歌です。作者は無名の娘。

 「鳰鳥の」は「葛飾」を形容する
枕詞まくらことば。その葛飾地方は、早稲の産地で、収穫が早かった。最初の収穫米は神に捧げました。「葛飾早稲を饗す」とは、その神事のこと。その日は身を清浄に保たなければならず、男女のふれあいは御法度。「葛飾早稲を饗すとも」と言えば、この地方の人は誰でも、その含意がわかったはず。ところが、この娘、恋人が自分を求めて家にやってきたら、外に立たせておくことなどできないと言うのです。恋を知った若い娘の一途さが率直に歌われています。暮らしに密着した表現として、しかもそれを恋に結びつけた詩句として、味わい深いものがあります。愛する男を「かなしき」と表現しているのも実にいいですね。都から遠く離れた僻地でも、恋心をこのような美しい歌にすることができたのです。田舎で詠まれたその歌を、千数百年後の現代まで伝えたというのが、万葉集の凄いところです。

 当時の葛飾という土地の範囲は広く、今の流山市だけではないのですが、早い者勝ちというか、この秀歌は流山のものになりました。

【古語散策】

 
鳰鳥にほどりの 葛飾かづしか早稲わせにへすとも そのかなしきをに立てめやも

 鳰鳥とはカイツブリという水鳥のこと。でも、鳥の種類を細かく詮索する必要はありません。「鳰鳥の葛飾」は決まり文句です。いくつかの地名には、決まった枕詞が、つまり固有の形容語があります。「
飛鳥とぶとり」「神風の伊勢」「隠口こもりく泊瀬はつせ」という風に、枕詞によってその土地のイメージを詩情ゆたかにふくらませるのです。今よりも海が陸地に入り込み干潟の多かった当時の葛飾は、水鳥が舞う土地だったのでしょう。「鳰鳥の葛飾」という表現で、そんな古代の風景が目に浮かんできます。同時に、「鳰鳥のかづ葛飾かづしか」と、当時の音韻による語呂合わせの連想も働くようになっています。



『万葉恋歌』掲載一覧

【これまでのさくら野歌壇】
2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年