雑 記 帳  


 若い頃、蟹を獲る日本漁船に乗り込んで、
 カムチャッカ沖のオホーツク海で二ヶ月間働いていたことがあります。
 函館から出航したのですが、
 その直前に本屋で小林多喜二の『蟹工船』を買い込み、
 漁場へ向かう途中に読んでみました。
 その後、生まれて初めて蟹漁を経験して思ったことは、
 自分の目の前で繰り広げられた労働が、
 『蟹工船』の書かれた明治時代と比べて、
 それほど大差ないのではないかということでした。
 現在の最新鋭トロール船なら、漁労から加工、凍結、船倉内の
 荷役作業まで、かなりの部分が機械化され、
 コンピューター管理されているようです、。
 ところが、蟹の漁労や加工は、なかなか機械化に馴染まず、
 今なお手作業でなくてはできないところがたくさんある
 大変辛い労働なのです。

 それでも大漁の時は、
 その辛い労働が報酬に反映されるので我慢もできます。
 しかし、蟹が獲れなくなってくると、
 船内の空気が一転してとげとげしくなります。
 蟹が獲れなければ、乗組員たちは、
 蟹籠という仕掛け(本ホームページの「タラバガニの話」参照)を
 海に沈めては、別の日に仕掛けておいた蟹籠を海から揚げる
 という作業を、朝から晩まで何度も繰り返すことになります。
 蟹籠を海に入れたり、海から引き揚げたりする作業は、
 命懸けの危険を伴います。
 何日も不漁が続くと、船内には行き場のない不平・不満が渦巻き、
 乗組員たちの疲労はピークに達します。
 そんなどん底の状態の時にようやく蟹の群を突き止め、
 久しぶりに甲板に蟹が山と積まれると、
 蓄積されていた憤りや疲労は潮の引くように消え去り、
 満面笑みを浮かべた乗組員たちの口からは
 下ネタ主体の冗談まで弾け出てきます。
 漁師冥利に尽きる瞬間と言うのでしょう。
 漁師という職業は命懸けの博打打ちです。

 二百海里経済水域施行後、日本人漁師に代わって
 オホーツク海で蟹漁を行っているのは、ロシア人漁師です。
 彼らもまた、愛する家族や恋人から遠く離れた海の上で、
 危険できつい作業を黙々とこなしていることでしょう。
 わが家の食卓にたまに蟹が上ると、
 洋上で働く漁師たちの苦労がふと頭をよぎります。

 (2000.09.03編集長)