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桜の話



【桜、その原風景】

 桜は太古の昔から、日本に自生していました。しかし、その生息地はきわめて限定されていたと思われます。なぜなら、日本の山野を覆っていた暗い森が桜の生存を阻害していたからです。明るい陽光が降り注ぎ、水はけのよい土地でなければ生きられない桜は、鬱蒼とした森を避けて暮らしていたはずです。森がとぎれるあたりとか、崩落や洪水で森が破れた跡地などで、人知れず花を咲かせていたのでしょう。

 桜がその生息域を広げたのは、人間の活動によってです。

 この列島の人々が定住生活をはじめたとき、彼らは森の木を切って生活しました。たとえば照葉樹が生い茂る西日本の暗い森は、集落に近いところでは、明るい雑木林の空間へと変貌をとげていきました。桜はそこに進出したのです。

 古代の山野に咲く花は、園芸品種が満ちあふれる現代とちがって、貧弱な花が多かったにちがいありません。そういう中にあって、桜はひときわ目立ちます。栽培技術の粋をつくした現代の花々と比較しても、桜の美しさは一頭地を抜いている。その桜が、人里近くの山々に、次々出現したのです。古代人はさぞや驚いたことでしょう。

 森羅万象すべてが神であった古代世界では、桜は心やさしい妖精となり、みめうるわしい女神になりました。いつしか人と桜はさらに近づいて、仲のよい隣人になってしまいます。

 このようにして、人里近くには雑木林の里山があり、里山には桜があるという日本の原風景ができあがるのです。万葉の歌人たちが心をこめて歌い、平安の王朝文学がこよなく愛した桜は、貴人たちの趣味としてそこにあったのではなく、はるかな昔に形成されたこの原風景に根ざしていたのです。春ごとに繰り返される現代の花見も、桜前線の東進を伝える昨今のテレビニュースも、その延長線の上にあるといえます。

 (2001.3.25.)

【ソメイヨシノとヤマザクラ】

 古代人と現代人で桜への思いが微妙に異なるのは、時代のせいばかりでなく、古代人が見た桜と現代人が見ている桜の品種が異なるせいでもあるようです。

 現在東京にある桜は、そのほとんどがソメイヨシノです。これに対して、源氏物語や古典詩歌に登場する桜は、そのすべてがヤマザクラ。

 染井吉野と山桜。この二つの桜は見た感じが少しちがいます。染井吉野が爛漫なら、山桜は清楚。霞か雲かと見まがうばかりの染井吉野に対して、山桜の華やかさは凛としています。

 源氏物語の紫の上は桜にたとえられましたが、豪華に咲き誇る染井吉野を紫の上に重ね合わせてはなりません。紫の上を思うには、山桜の気品を思わねばならない。

 山桜は遠い昔からこの列島に自生していた桜です。分布の中心は西日本で、有名な吉野の桜は山桜です。

 これに対して、染井吉野の歴史は新しく、幕末維新のころ登場しました。花のお江戸は豊島郡、今の巣鴨あたりにあった染井村の植木屋がつくったらしい。あるいは、植木屋が変わり種を偶然見つけ、染井村で量産したともいわれています。いずれにせよ、染井吉野は園芸用の交配種です。それが百年余りで全国を席巻し、今では桜といえば、人は染井吉野を思い浮かべるようになりました。

 染井吉野の特徴は、山桜に比べて花の数がとにかく多いことです。桃色の雲のように花を咲かせます。しかも若葉の前に花をつけ、若葉なしに満開を迎えるから、それこそ花一色になります。木の成長も速く、十年もしないうちに花を咲かせる。増殖は挿し木ですむ。授粉や結実の必要がないのです。

 花の寿命は山桜の方が少し長いようです。結実を求めない染井吉野はいのちを惜しまず、一気に散り果てるけれど、実を残さなければならない山桜は、花のいのちを惜しむのかもしれません。

 落花のとき、染井吉野の絢爛たる花吹雪には息をのむほかありません。その美しさばかりでなく、そのいさぎよさに感心する人もいます。そこに何か凄惨なものを感じて戦慄する人もいれば、死に急ぐ花の哀れを思う人もいる。染井吉野の散りざまは、どこかしら近代的な、複雑な感慨を呼び起こすようです。

 山桜の散り方は、もっと古代人風です。のどかに散る。みずからの命を惜しむようにして散る。見る人に惜しまれながら散る。その雰囲気は昔の歌がよくあらわしています。

   ひさかたの
       光のどけき春の日に
            しづ心なく花の散るらむ

 (2001.3.30.)


【桜の雑学】

 本屋で買った花の本によれば、日本には二、三百種類の桜があるそうです。そのほとんどは桜の愛好家や育種家が創り出した園芸品種です。それに対して、昔からあった自生種は十種類くらい。それも元をたどれは数種類に行きつくという。そのうち主要なものが、西日本の山桜、東日本の彼岸桜、北日本の蝦夷山桜(大山桜)です。

 蝦夷山桜というのは、同じピンクでも、花の色が濃いようです。彼岸桜は、花は小振りですが、色は染井吉野と同じです。山桜の花の色はもっと淡い。昔は、その淡い色を桜色といいました。

 これらの野生の桜のうち、彼岸桜は独特の性質をもっていて、若葉が出る前に満開になります。これも染井吉野と同じです。実は、染井吉野の片方の親が彼岸桜なのです。

 染井吉野のもう一方の親は、南伊豆に自生している大島桜であるとされています。これは山桜の南方適応型の変異種で、純白の花を咲かせます。花の大きさは、彼岸桜とは比較にならないほど立派です。染井吉野は、この立派な花を受け継ぎました。

 京都の有名な枝垂桜(シダレザクラ)も園芸品種ではなく自生種です。意外なことに、これは彼岸桜の突然変異体。その昔、東国を旅した者がその情趣に感銘し、京都に持ち帰ったといいます。

 桜の愛好家たちは、自生種すなわち野生の桜をひとくくりにして「山桜」と呼び、人の手になる園芸種を「里桜」と総称しています。「山桜」という呼称は、彼岸桜や大島桜なども含めたすべての自生種を指すと同時に、その中のひとつである西日本の山桜に限って使われるときもあるのです。読む方はややこしくてかないません。

 本によっては、漢字とカタカナで使い分けている著者もいます。野生の桜を表すときは漢字で「山桜」と書き、西日本の山桜だけを指し示したいときはカタカナで「ヤマザクラ」と書く。その理屈を延長して、ヒガンザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラなどと、ことごとくカタカナで書いてゆくものだから、読む方としてはこれまた困ったもので、目がチカチカする。チカチカするだけならまだいい方で、チンプンカンプンになるときもあります。

 たとえば「ヒカンザクラ」という桜。彼岸桜のことではありません。よく見てください。ヒカンの「カ」に濁点がない。「ヒガン」ではなく「ヒカン」。

 なんだろう? まさか悲観桜であるはずがない。避寒桜というのもどこかおかしい。えっ、卑官桜? 一太郎の語彙はここまで。

 正解は、寒い時期に真っ赤な花を咲かせる緋寒桜でした。こんなのまでカタカナにするなと言いたいですね。

 (2001.4.04.)