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続・浜っ子ノスタルジー 広瀬裕敏 |
第1話 山手の丘 2020.11.20. |
元町幼稚園に通っていたことを以前自慢した。
幼稚園の二年目の秋、母に連れられて、母いわく「エライ先生」の家に行った。一緒に通っていた煎餅屋の娘さんも一緒だったかは思い出せない。
二人の息子の教育に熱心な母の次の計画は、横浜国大付属小学校に入れることだった。
迷いながらたどりついた家は横浜山手の丘の上にあった。今から考えれば、山手観光コースから少し離れた共立女学園のそばだった。
「先生」は上品そうなおばあさんだった。彼女が小学校受験とどう関係しているのか聞き逃した。
洋館の芝生の庭の先は崖で、港こそ見えなかったものの、眼下に密集した民家の屋根が連なっていた。
初めてソーサーつきのカップで紅茶を飲んだ。
こういう家があるのかという、物心ついてから初めての衝撃だった。(ちなみに2回目の衝撃は高校時代スペイン人の神父のサンドイッチのハムとバターの厚さだった)カルチャーショックどころか、格差の実感と言っていいだろう。
私は町工場の社長の息子とは言っても、昼は一階の工場のコーラ瓶の洗浄機の音が鳴り響き、夜は隣家の料亭の酔客の大声と芸者さんの嬌声を聞くという完全な下町で育ったのだ。
会話の内容は覚えてないが、温厚そうなおばあさんは微笑みながら最後に、母だか私だかに「大丈夫ですよ」とおっしゃった。
結果は大丈夫ではなかった。
国大付属の受験には、簡単な筆記、親を交えた面接のほかに確率50%のクジがあったのだ。二年前の兄に続いて私もクジで落ちた。
今から考えると六歳の子供を完全に選別できるわけがない。今はどうなっているか知らないがフェアーな試験だったと思っている。
仮に受かっていたら、家から市電で花園橋(今の横浜スタジアム前)まで行き、本牧方面に行く路線に乗り換え、本郷町あたりから丘を登る必要がある。小学一年生の通学に40分は無理がある。まだ桜木町から先は電車が通っていない時代である。
山手の町並みは観光スポットを含めほとんど変化はない。(山手の丘の向こう側の本牧は米軍基地がなくなって大分変ったが)今でも山手の丘を車で走るとホッとする。
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