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今は昔
                           ちんすこう


 第1話 “カツオ”大漁物語

 これはソ連時代、1979年頃11月の体験である。
 今、ロシアと盛んにもめているグルジアへ初めて出張することになった、
 行先はバツミ港(トルコ国境に近い黒海沿岸の港、有名な保養地でもある)、現地グルジア船舶公団、重要な設備引渡しセレモニーへの参加であった。
 当時、私は着任間もないモスクワ駐在員、ソ連海運省の公団より副総裁が同行する事になった。

 空港待合室、朝、出発予定便時刻をとっくにすぎても全く動く気配なし、一番困った事は情報がないこと、ぎりぎりの日程を組んだ為に帰り予定便に乗れるかが気になっていた。
 食事にも行かないで、ただじっと待つだけである、<困っちゃうな>。
 ちなみに、ロシア人の我慢強さはこのようにして、日常訓練されているのかな、また、案内がないのは遅れの理由が国家機密のせいかしら? ペレストロイカの後、現在も伝統は引き継がれているが、幸いに回数は激減している。諦めた頃、何の説明もなく、16時飛行機は飛んだ、よかった。

 私は当時から機内で寝る癖がついていた、しばらくすると気圧変化で目がさめた、出発してから一時間半をすぎており飛行機は高度を下げはじめていた、やがて着陸した、バンザイ!と心の中で叫んだ。
 私は外国人のため外貨を支払って航空券購入していたので、最前列のファーストクラス席であった。
 窓から見えたターミナル名スフミと書かれていた、そうか、バツミ市スフミ空港だな、外の景色は夕暮れのせいか寒そうであったが、幸い、雪ではなく雨が降っていた、
 うちのモスクワ従業員の助言を受けて、私は夏服であったが薄いコートを持参していたので何とかなると内心思った。
 いつもの機内アナウンスがあり、ソ連国内便はパイロットが先に降りることになった。
 パイロットの顔を見た女性乗務員はすかさず“何故スフミに着陸したんですか?“
 尋ねられたパイロットは“私の家はスフミにあるのだ、バツミまで行けば陽が暮れて家に帰れなくなる、どこに泊まれと言うのか“
 私はジョークが好きだ、すごいと感心した、まるで漫才を聞いているような早いやりとりであった。“大名はゆっくり” ターミナルに着いた頃、回りはすっかり暗くなっていた。
 それまで無口で通した副総裁が重い口を開いた“宿泊先を探さないと”
 私は反射的に尋ねた。“乗務員とパイロットの会話はジョークではなかったんですか?”
 返事を聞いた私の足はガクッときた、ひどい話だ、<困っちゃうな>。

 当然、バツミのビザはなかった、この為ホテルに泊まれるかが心配になった。
 白タクでホテル数件回ったが空き部屋がまったくない、同行のお目付役でもいなければ米ドル差し出せば何とかなったと思ったが、これではお手上げである。
 灯り一つない、真暗闇、気温零度付近、ターミナルで夜を明かそうと覚悟したがベンチもなければビュッフェ、レストランもなし、<困っちゃうな>。
 副総裁が突然、港に行こうと言い出した、
 そこには大型客船プーシキン号が停泊していた、深夜にも係らず船長が遅いディナーでもてなしてくれた、そしてベットにすいこまれるように眠った。
 飛行機出発時間の情報は相変わらず国家機密にまもられていたので、翌日、日の出直後の5時頃、またもや白タクにて空港に向かった。私は気が短いせいか、じっと待つのが辛くて周辺を散策しながら、食べ物を探した。
 そして、ターミナルに隣接している一階建てのプレハブ内で男性だけが集まり、ソーセージ、黒パンに紅茶をコップで飲んでいるのを発見し喜んだ。
 私は副総裁の止めを押し切り二人分注文した、へんな顔で見られたが私は庶民的な食べ物が好きなのだ、そして紅茶を一気に喉までほうり込んだ。
 息が止まり、涙が出た、紅茶は重かった、飲み込んだら胃袋がやけた、匂いをかいだらブランディである事が分かった。世界は広く、私はお酒好きだが、朝6時頃からブランディを樽から飲む民族は聞いたことも、見たこともない、
 貴重な体験をした。帝政ロシア時代、モロゾフ財閥が“馬でさえ朝からお酒を飲まない”と言った有名な映画場面がある。。。

 昼頃、私たちを乗せた機体は離陸したと思ったらすぐバツミ空港に着陸した。
 後で聞いた話だが、トルコ国境に近い為、亡命を恐れるソ連政府が厳しい飛行制限をしていた模様。レーダーもなく有視飛行のなかで、やはりあの会話はジョークであった。その日の内、早速受け渡しセレモニーに立会い、夜は船会社社長主催で晩餐会となった。
 朝6時からすきっ腹にきついお酒を飲んだ私は睡眠不足と疲れが加わって、早く解散してほしかったが、シャンパン、ブランディがボトル単位でひっきりなしに運ばれてくる。新しいビンから一杯だけ注がれる、そして総裁はその都度グラスを上げてホールを見渡してから乾杯をする。飲んだお酒が喉下まで満杯になった頃、周りのテーブルから人が集まってきた。“私のテーブルより貴方のテーブルへ(ボトルを)” これが民族伝統的な挨拶習慣らしい。話を聞くと、全員グルジア船舶公団の船長の皆さんで、中には日本航路のタンカー船もあった、みんな大の日本ファン、盛り上がったと思ったら皆さんが私を指して“カツオ、カツオ”と言い出した。ここは地中海に近い、マグロは知っていたが鰹も手に入るのか、いや待てよ、私を指しているぞ!、<困っちゃうな>。
 “カツオ”は現地の言葉で“同志”の意味でありました。
 私はそれ以来、グルジア人と馬が合う、初対面の際“カツオ”と呼ぶだけで相手に笑顔がこぼれる、今日もカツオ大漁だ !


P.S.
長年ロシアパイロットが乗客より先に降りる理由を考えた、答えは一つ:ロシア国内便はトラブルが多い、怒った乗客に人質に取られたくない為、逃げるが勝ち、かな?
御存知の方、教えて下さい。                  



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