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今は昔
                           ちんすこう



 第6話 影武者物語 その2
    〜造船所の物々交換と泣かせる歴史的な伝統〜

 第4話「裸のオーナー」物語と同時期、1990年代初めの頃、ニコラエフ市内の某造船所より大型新造船の購入契約に係る業務が委託された事があった、船主側代表である。それまでは比較的に順調に進んでいた契約だが船価の大半を振り込んだ途端、人質を思わせるような出来事が次々に発生して契約破棄もままならずに大変な苦労を強いられたことがあった。その時代、初めて「カントリーリスク」に悩み、そして本格的な対策を学習する機会にもなった。

 その朝、造船所社長は暗かった、明らかに気持ちが沈んでいた、昨日まで毎日の定例会議でも、また現場でも、悩むような問題は聞いていなかった。私は社長の人柄に惚れ込んで、このプロジェクトを受けた経緯があった、信用し尊敬もしていたのである。
 全員引下って二人だけになってから社長は重い口を開いた。
 「私を信用してますか、自分は命よりも名誉を大切に生きて来た者として、詐欺師にはなりたくない。実は、大統領令により口座にあった米ドル全額を国家が没収した、船の設備を物々交換で調達せよとの指令がきた。ここは造船所で船が物々交換の対象となるが、全外貨を没収されては肝心の船が完成しない旨を大統領に直接電話で説明して対策を尋ねたが、答えは国家非常事態との一点ばり。そういうわけで船体も完成しなければ、支払済みの代金も返却不可能となった」
 これを聞いた私は、人質になったことを実感した、いくら国営造船所といえども、これではまるで石器時代ではないか、国家による立派な詐欺罪である。
あれから数日二人で相談した結果、契約総額は変更せずに(複数の国家機関が
監視している為)支払い残額で数億円相当分を船主側が搭載設備を現物支給することに内容変更して一件落着したのである。設備製造会社、型名、仕様、単価は造船所見積通り一切変更できない為に相当持ち出しとなった、それよりも大変であったのが国内銀行が正常に機能しない国で200点弱の設備代金の決済と造船所までの物理的な運搬方法でありました、その詳細は忘れたいので省略いたします。

 あれから一年経過して(文書とは便利ですね、地球上で最も早い手段と思いました)いよいよ船の走行試験日を迎えた。その日は乗船希望者が想定外に多く、これでは溢れて船外だけでも50名は越える勢いで、見たことのない人間が多数あり、あげくは乗船した水先案内人より安全航海に反するとの苦情がきた、が造船所側は対応する素振りもない為にその日はとうとう出港できなかった。止むを得ず、乗船者リストを見せてもらった、乗組員が約10名、設備メーカーと造船所関係者約150名、他にモグリが不特定多数と言うのだ。このような信頼性の低い設備を採用した覚えはない、“蜜にたかるハエ”なら分かるがこの現象の動機はいったい何だろうか、尋ねて納得した。昔からの伝統で新造船の走行試験中はウォトカを無制限にただ飲みできると言うのだ、そして水先案内人が出港拒否した本当の理由は安全航海とは無関係で、乗船者数が分からない為に自分のウォトカの分け前を心配したと言うのだ。
 旧ソ連では船内禁酒であったので、冗談かとも思ったが他に動機が見当たらない、そして熟慮した結果、走行試験は当分中止することにした。乗船しない連中の為には自腹で陸上にウォトカを一人頭2本準備して、酒を飲まない水先案内人は見付からなかったので、法定人数分の乗組員を乗船させて厳しい通達を発行した、禁酒に反した乗組員は即クビとする、引渡し前の船体ではあるが人命の安全上最終責任者を船長とする。そして二日後に船は走行試験から無事に戻った、が操船していたのは船長以下ウチの乗組員で、他100名を越える造船所関係者は翌日下船したのである。
             
 続く
 



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