ハマっ子ノスタルジー

『市電』
(第1話)
                              広瀬裕敏

 横浜にも市電が走っていた。
 確か最後の路線がなくなったのは1970年頃だったと思う。
 その最後の路線に乗って、私は1961年から67年まで小学校に通っていた。
 鎌倉街道と国道16号線が分かれるあたりから、16号線を下り、美空ひばり生誕の地・滝頭を過ぎ、八幡橋で本牧からの市電通りと合流して、今の磯子駅前付近までが通学路であった。
 石原慎太郎や裕次郎が50年代銀座で飲んだ後、市電が終わった深夜、逗子の自宅までこの道を疾走していたことは後で知った。
 小学校入学当時、磯子は砂浜だった。
 市電通りと砂浜の間の狭隘の地に古い木造校舎が建っていた。
 市電の話である。
 小学校の最初の遠足は本牧の三渓園で、市電を2両借り切ってでかけた。幼児たちが乗り降りに手間取る間、後ろの電車はそれをじっと待っていた。そういう時代だった。
 小学一年生にとって、特等席は運転席が見られる一番前の立ち位置であった。路面電車特有のおおきな横揺れに必死に踏ん張りながら、ひたすら運転を見ていた。運転席はたった一本の横棒で仕切られており、それに身を乗り出して、ほとんど横から運転を見ることができた。
 「面白いだろ」
年配の運転手が一度声をかけてくれた。
「うん」
「これでスピードをだして、これで停めるんだよ」
「簡単だね」
運転手の答えが一拍遅れた。
「簡単だよ」
 しまったと思った。子供心になんだか運転手さんを傷つけたような気になっていた。なんで「簡単」などといってしまったんだろう。電車の長さしかない島のような停留所にぴたりと停める神業を知っていた。
 会話がとぎれ私は外の風景に眼を移した。
 砂浜がひろがった。

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