「どぶ川のある風景」
(第103話)
宮本輝原作、小栗康平監督の名作「泥の河」は昭和31年の大阪が舞台だ。
泥の河に浮かぶ郭舟の幼い姉弟と、川沿いのうどん屋の息子の淡い交流を描いていた。
けなげな姉が、うどん屋の母親と内風呂にはいり、舟べりからいつも身を乗り出しておしっこして、一度川に落ちた話を、身振り交じりで説明する。
外で聞いていた弟は、「お姉ちゃん笑ってる」とつぶやく。
モノクロの川の風景は暗い影がひときわ引き立つ。
横浜にも川がたくさんあった。
正確には、大岡川とその分流の中村川を除いて人口の掘割川だった。
そして昭和30年代、それらの川は皆悪臭ただようどぶ川だった。
大岡川沿いの上流から黄金町、日の出町、福富町、野毛と続く色街、歓楽街は、とても子供が近づける場所ではなかった。
黄金町の、京浜急行と大岡川に挟まれた一画の、二階建ての長屋の前の川沿いに干された洗濯物を見て、そこがどんな場所か意味がわかったのは、もう高校も高学年になったころだった。
所属カトリック教会も、日の出町に近い大岡川沿いだった。
横浜教区本山の山手教会との差に、高校生のときは少し抵抗を感じていた。そのうち毎日曜日教会に通わなくなったが、その理由は教会の立地ではもちろん無い。
大岡川と伊勢佐木町をはさんで東に並行して流れる掘割川は、埋め立てられて今は大通り公園という緑地帯になっている。
川のあった名残は、阪東橋、横浜橋といった地名が残るのみである。
さらに東に、私の実家近くから大岡川と分かれて中村川が流れている。
どちらに流れているかわからないほどのどぶ川である。幼いころは、落ちたら泥水を飲んで死ぬだろうと、暗い川面を見下ろしては尻込みしていた。度胸のない子供だった。
川は寿町のわきを通り、元町と中華街を割って横浜港にいたる。
元町と寿町はほんの数分なのである。
この川には船上生活者も多く居た。昔は横浜では珍しくもなかった。
大岡川と中村川を結ぶ掘割は、埋め立てられて今は首都高速横羽線になっている。
開港時関内と関外を分けた掘割である。
もうひとつ、中村川からさらに分岐して16号線に沿って南東に流れる掘割川がある。
小学校はこの掘割に沿って市電で通っていた。
睦橋という停留所から、中村橋、天神橋、根岸橋を通過して、美空ひばりの生誕地滝頭を経て八幡橋で海に注ぐ。
今でも釣り船が多い掘割である。
北に走る市電の終点六角橋にしてもそうだが、横浜の停留所は今でも「橋」のつくものが多い。
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