ハマっ子ノスタルジー

       
『横浜酒場逍遥』
(第22話)
                             広瀬裕敏
 

 高校を卒業してからは、東京で飲むことが多くなった。
 浪人時代は御茶ノ水か渋谷、大学時代は四谷か新宿、就職してからは八重洲か銀座と舞台は代わった。
 大学まで東横線で通うことが多かった。飲んだあと桜木町に終電でたどりついたときには、もう金もなく、約30分自宅まで歩いて帰った。
 福富町黄金町をつっきる度胸はなく、野毛から伊勢佐木町通りをぬけるルートが定番だった。
 歩いている途中で「浜のメリーさん」に誘われたことがある。横浜では有名な高齢の街娼である。遠くからでも、フリルのついた派手なドレスとドーランのような化粧で、すぐメリーさんとわかった。遊んでいく、と誘われて、ごめんなさい、と頭をさげた。度胸も金もなかった。ただ歴史の中のメリーさんに声をかけられたことに感動していた。
 やはり伊勢佐木町の途中に「ジョンジョン」というホットドッグ屋がある。40年近く今でもやっている店で、80を超えたオーナーもご健在だときいている。ホットドッグだけでなく酒もだすので、よく待ち合わせに利用した。
 ゴールデンカップスのリードギターだったエデイ藩が、近年横浜でブルースを歌っているときいた。(エデイ藩氏は中華街の実家でたまに店番をしている)ジョンジョンはライブもやるので、横浜の音楽事情に詳しいと思い、彼がどこで歌っているのか聞きにいった。オーナーの娘さんに、文化ホールの近くのライブスポットを教えてもらい、奇遇にも同じカップスのルイズルイス加部が、親子ほど歳の離れたジョンジョンの女の子と最近結婚したことを聞いた。
 夏冬2回の中華街の宴会のあと、丘公園でアベックをひやかすのもあきて、中華街の周りのバーに行くようになった。
 「コペンハーゲン」という、勧め上手の腕に刺青のある外人バーテンダーの店にもよく行った。
 後年、ノルウェー人のやっているカウンターだけのバーにもよく顔をだした。「エリックスラストスタンド」といった。海坊主のような大柄な主人は、仕事は店員まかせでいつも酔っ払っていた。
 ある日私の頭を酔眼で見て、髪の毛で隠しているけどよく見たらおまえハゲじゃないか、と言った。
「ユールックライクアクラウン」(おまえ道化師みたいじゃないか)
私がむっとした顔をすると、かれはニヤっと笑って、二本の指でビールの王冠(クラウン)をつぶして、それから自分のハゲ頭をたたいてみせた。
 一年くらい間をおいて店をたずねると、彼の日本人の奥さんがいた。そして彼が亡くなったことをきいた。酒の飲みすぎで肝臓がぼろぼろだったと、奥さんは笑っていた。
 店の名前をつけたときから、ここが最期の棲み家であることがわかっていたのだろう。

   
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