ハマっ子ノスタルジー
『浪人時代』 (第26話) 広瀬裕敏 大学に入る前に二年浪人した。 一年目は既定方針どおり、二年目は想定外だった。 今から思えば、親の心労、経済的負担に頭がさがる思いだが、当時は当たり前のように「浪人」し、宙ぶらりんの青春をそれなりに謳歌した。 現役での大学不合格が判明すると、すぐに御茶ノ水の予備校を受験した。 予備校が始まってほどなく、港北区のK小学校から同じ中学高校に通った友人に連れられて、早朝御茶ノ水駅近くの喫茶店に行くと、小学校の進学塾で遊んだ懐かしい面々が、六年分おとなになってそのまま居た。 さらに彼らの高校の友人たちも引き寄せられ、朝は必ず十数人が喫茶店にたむろすようになった。麻布、開成、教育大駒場をなんとか卒業した劣等生たちである。 喫茶店としてはたまらない。早朝サービスの百円のコーヒーで居座られるのである。結果として一年の間に二軒追い出され、集団移動していった。 10時を過ぎるとこの集団はそのまま雀荘に直行した。毎日麻雀大会をやっているようなものである。 二回目の大学受験は、たくさん受けてすべて失敗した。 二年目の浪人時代は、一年目のような喧騒はなかった。 同じ高校OB3人と雀荘で集まり、ハンチャン4回やって昼下がりに解散した。麻雀は4人いないとなりたたない。4人は一日としてすっぽかすことなく、春から冬まで律儀に同じ日常を過ごした。 彼らは麻雀以外の時間にそれなりに努力したのだろう、一人は東大に、二人は医学部にすすんだ。 私はといえば、予備校の模擬試験は受けるものの、授業にでる習慣はまったくなくしていた。 唯一欠かさず出席したのはある講師の世界史の授業である。彼は中南米史専攻とかで、毎回決められた時間を倍近くオーバーし、受験知識から逸脱した講義だった。 彼から荒畑寒村、宮崎淘天、さらに内山書店を教えてもらった。 麻雀に必要な4時間以外のありあまる時間を読書に費やした。ジャズ喫茶の暗い灯りで、この時期太宰や高橋和己を読破した。 年が明けて、早い時期に私立の外国語学部に合格し満足した。 寒さもゆるんだ三月になって、ひとりで二年間通った雀荘を訪ねた。雀荘の若い女主人は私の合格をことのほか喜んだ。彼女にしても、客とはいえ授業もでずに麻雀にうつつをぬかす浪人生たちを心配してくれていた。 金の無い浪人の二年間、東横線でたどりついた桜木町駅から20分以上かけて家まで歩いていた。メリーさんに声をかけられたのもこの時代である。 |
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