ハマっ子ノスタルジー

   
       
『丹沢』
(第33話)
                             広瀬裕敏

  海より山が好きである。
 そもそも中学3年まで泳げなかった。中学の海の家が三浦半島の油壺湾の一角にあったが、そこで千五百メートルの遠泳を求められた。油壺は文字通り油を流したように波も無く、何とか平泳ぎはできるようになったが、いまだにクロールは満足にできない。
 中学高校は大船に位置し、横浜以外に湘南から通う生徒も多かった。鎌倉藤沢の人間にとって海は日常の風景である。その湘南の友人に対する負い目も会ったのだろう、高校で丹沢を教えられてから断然山が好きになった。
 中学高校の副校長は南ドイツ出身の、戦前から日本で暮らしている神父さんで「天狗さん」といった。
 天狗さんは、このあだ名と丹沢をこよなく愛した。
 さらに学校創立者の権限で、丹沢に山小屋を創り、高校生の丹沢山登山を必修とした。高一のときは塔の岳まで、高二で丹沢山をほぼ全員が登頂した。
 小田急線の大秦野(昔は単に秦野ではなくこういう駅名だった)に集合し、ヤビツ峠までバスで行き、山小屋のある札掛まで歩いた。
 山岳部員を除いて全員が素人である。
 飯盒の炊き方、火のおこしかた、ランプの磨き方、ゴミの処理、短波ラジオから天気図への書き写し方。
 普段は石をいれたリュックをしょって、グラウンドの周りをウロウロ歩いているだけの山岳部員がしたり顔で教えた。
 丹沢は沢登りが有名だが、尾根道も捨てたものではない。林道の鬱蒼としたブナ林。そして山頂から見る富士山。振り返って相模湾の海。
 夏山のいただきのすばらしさはそれだけではない。
 息が整い、汗がひいたあとの清清しさ。沢で汲んだ水のうまさ。そして、天に近いという実感。
 感動忘れがたく、高校3年の夏もサッカー部の同期の連中と山小屋に行った。小屋で深夜まで騒いで天狗さんに怒鳴られた。
 二十歳位のとき、山岳部の親友と再度日帰りで丹沢を登った。あの頃が体力のピークだった。
 その後二年たって北アルプスの剣岳に登ろうとした。山小屋で酒を飲みすぎて出発が遅れ、立山までいって剣登頂を断念した。本物の「山男」には自分はなれないと自覚した。
 昨年高校の仲間とほぼ30年ぶりに丹沢の山小屋を訪ねた。高校の山合宿はすでになくなっていると聞いた。入り口の鍵をこわしてはいると、蒲団は湿っていた。
 70年近く日本におられる天狗さんのように山小屋も歳をとった。
 今でも山が好きである。神奈川には海だけでなく、箱根と並んで丹沢という山ふところがある。

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