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ハマっ子ノスタルジー

       

       
 『小説を読む』
 (第65話)

 ドリトル先生などの児童文学を卒業して、フツーの小説を読みだしたのは、中学1年生くらいだろうか。
 学校の図書館を覗いて、一番最初にはまったのは石坂洋二郎だった。「陽のあたる坂道」の舞台、田園調布は後年途中下車して町並みを追体験した。
 最初に買ったレコードは「帰ってきたヨッパライ」だが、初めて買った単行本は庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった。
 カトリックの学校主催の黙想会という合宿が、清泉女学校の宿泊所であり、若干興奮しながら隠れて読んだ。
 主人公は4つか5つ上の日比谷高校生で、今考えれば幼稚な主人公の悩みが理解できた気になっていた。
 家には小説といえば、夏目漱石全集、戦前の作家の昭和文学全集しか無かった。中学3年のとき、親と交渉して、ソフトカバーの日本現代文学全集の定期購読が始まった。
 この全集で興味を持った作家の文庫本をあさるようになる。吉行淳之介や安岡章太郎といった「第三の新人」の作品をよく読んだ。
 なかでも遠藤周作は、「沈黙」からさかのぼるかたちで代表作をすべて読んだ。
 高校生から観ても、吉行や安岡に比べうまくはなかったが、遠藤のテーマは私にとって深刻な問題だった。遠藤が灘高の劣等生だったことも親近感を持った。
 三島由紀夫はこの全集に入っていなかった。三島自体がこの全集に加えられるのを拒否したのだろうが、当時の文学少年にとって三島は特別な存在だった。
 三島の自死は、高1の秋の学校帰りの関内駅で同級生から聞いた。同級生は多分家に電話したついでにでも親から聞いただろう。当時「仮面の告白」や「金閣寺」を読み終え、「豊饒の海」にとりかかった最中だった。
 三島の「午後の曳航」は横浜を舞台にした美しい作品だった。主人公の少年が母親の恋人を殺害して市電で杉田に向かった。市電に沿った海岸線は小学1年生の思い出だった。
 大江健三郎も70年代初期の高校生にとって別格の存在だった。
 野坂昭如とは別の意味でひどく読みにくい硬質の文体に立ち向かっていた。
 新潮のハードカバーの「洪水は我が魂におよび」を買って読み、後年この作品が大学受験の現代国語の設問になった。あとで大江が無断で設問にされたと抗議したという記事を読んで、妙に納得した。
 高三のとき友人の書棚の太宰治全集を借りてひと夏で読んだ。さらに浪人一年目に別の友人の高橋和己全集を読んだ。
 思えば浪人のときが一番読書量が多かったかもしれない。現実から逃避するように、ジャズ喫茶の大音量のなかでひたすら文庫本を読んでいた。
 浪人時代は御茶ノ水の古本屋まわりも楽しみだった。稀少本や初版本を買えるわけでもなく、ただ古本の香りをかぎに行った。予備校で唯一出席した世界史の講師に教えてもらった「内山書店」にも何度も顔を出した。
 大学に入って春先の授業で、一人のロシア語の同級生と教室の後ろで雑談し、その月の文芸誌に掲載されていた作品の評価で意見が合った。文学少年くずれをまた一人発見したようで嬉しかった。彼から芝居の世界を教えてもらった。
 村上春樹がちょうどデビューした年だった。
 大学生時代のご贔屓は中上健次だった。私にとって憧れた最後の純文学作家となった。

 時代小説は横浜育ちで晩年も本牧に寓居した山本周五郎から始まって、池波正太郎を経て、今ご贔屓は藤沢周平である。
 藤沢のよさも、新潟の別の文学少年くずれに教えてもらった。
 
【掲載作品一覧】