放課後は
さくら野貿易
ラーゲリの歌声
第12話 嗚呼ソフトクリーム
当時、ソ連には、ソフトクリームがなかった。全てアイスクリーム工場であらかじめ作ったものしか売っていなかった。
モスクワ駐在員の家族には、一年に2回、ソ連国外を旅行する特権があった。あるとき、隣の国のフィンランドへ行ったら、デパートでソフトクリームが売っていた。物のないソ連から外国へ行く目的の一つは買い出しである。両親が買い物など色々な用事を済ませている間、私と弟はソフトクリームを堪能した。
柔らかくて、なんておいしいんだろう!
一日に2個食べることもあった。
[執筆者紹介]
[ 掲載一覧 ]