平成東京物語(その3)

複数のライターが交互に数行ずつ綴る実験的リレー・ストーリー
行き着く先は誰も知らない・・・(舞台裏集音マイク)


 それは私がマニラに住み始めてから2年くらいたった頃であった。まだ鑑定士としての評価も定着しておらず、日常はおおむねヒマであった。
 マニラホテルに中古のアメリカ車で迎えに行くと、二十分前なのに既に老人はロビーで待っていた。
「広川さんの紹介でーー」
「今日一日お願いしますよ。」
笑みで顔を満たしながら、眼は笑っていなかった。小柄だが背筋をピンと伸ばし、足どりにも乱れはなかった。
「フィリピンは初めてで。」
「戦前に何度か。40数年ぶりということになります。」
「ずいぶん変わったでしょうね。まずどこに行かれますか。」
「適当に繁華街を走らせてください。」
助手席に座った老人は、ロハス通りに入ってすぐ、私に話しかけた。
「あなたは美術鑑定人を職業にしていると聞きましたが。」
(鯨)2005.11.22

 老人の語り口はまるでよもやま話のついでといった風だったが、緊張していた私は、曖昧で途切れ途切れの受け答えをするしかなかった。
 老人は私の答えなど意に介さず、相変わらず飄々とした口調で、問わず語りに次のようなことを言った。
 鑑定は絵を見ておこなうというよりも、作者の心に同化することが肝要である。構図や配色、筆づかいなどは真似ることができるが、作者の情念、希望や絶望、その絵を描いたことの意味、そういったものを再現するのは、いかにすぐれた贋作者でも不可能だと。
「それと、志ですかな。名画と呼ばれる絵を描いた人にはなにがしかの志があるものです。どういう志であってもよいが、志のない鑑定人は画家の志に感応できないといいます」
 絵画のコレクターで名高い金原泰造ならではの話題であったが、私は適当な相槌さえ打てず、黙ってハンドルを操作した。
(蛸)2005.11.23.

「芸術家の魂のこもった作品は心に訴える物がありますなぁ。そんな作品に囲まれて生活していると活力が湧いてくるんですわ。私だって疲れることもあるんですから。」
 と老人は言って豪快に笑った。
 今考えるとあのとき老人は私が夏子にふさわしい人間か偵察に来たんだ。
 (鮎)2005.11.25

 黙ってハンドルを握っていた私は、老人の話が鑑定人の心得にばかり向けられることに次第に反発を覚えるようになり、遂に勇気を振り絞って一言反撃を試みた。
「仰る通り、鑑定人にもピンからキリまであるでしょう。しかし、昨今の収集家にも同じことが言えます。有名な画家の落款を愛するが故に、作品を独り占めする人も多いと聞きます。」
 老人は顔色を真っ赤にして、しばらく外の景色に視線を向けていたかと思うと、突如大声で笑い出した。
 (貝)2005.11.25

「私は韓国人です。済州島出身の金です。下関に着いたときは何もなかった。最初は炭鉱で働きました。やがて祖国を食い物にする形で財をなしました。さらに陸軍にも食い込んで、このフィリピンでもずいぶん稼がせてもらいました。戦後大明治製紙を政治家の仲介で買収したとき、資金の出所は山下財宝ではないかとも言われました。フィリピンに住んでいたらご存知でしょう、山下将軍が隠したという財宝の話。そう、私は日本敗戦のときマニラにいました。」
 私を見る金原は、既に好々爺の顔にもどっていた。
「私はそのとき韓国人の金に戻っていました。アメリカ軍にも協力しました。そのとき私は済州島に帰っていたら殺されていたでしょう。このマニラでB級戦犯に指定されることもうまく逃れました。何より韓国人ですから。」
 何をいいたいんだろう。私は金原の横顔をいぶかしげに見た。
 (鯨)2005.11.28

 金原泰造がなぜ自分の過去を私に語るのか、その理由が私にはわからなかった。波瀾万丈、苦難克服、そして成功。成り上がった人物特有の自慢話かとも思った。そんな私の思いを見透かしたかのように老人は言った。
「これは失礼。若い人を見ると、どうも講釈や昔話が多くなる。まあ老人のたわごとと思ってください」
 金原泰造は豪快に笑った。その笑みを表情に残したまま、「ついでに、もうひとつ、たわごとを言いますかな」と、彼は続けた。
「名画というものは、女に似ている。たとえばあなたに恋人がいたとき、その女があまりにすばらしいからといって、その心や体をおおぜいの者たちに鑑賞させますかな。独り占めするものですぞ」
 私は体がこわばるのを覚えた。マニラの車中で聞いた「老人のたわごと」が、私にとっては、絵の具の奥に妻を永遠に封印したダナエを想起させ、さらに、狂おしいほどに愛しい夏子をも思い起こさせたからである。それは鋭い記憶として、しかし偶然の出来事として、私の心に残った。だが、あれは金原泰造が私に与えた暗喩であったのか。そして、彼が自分の過去を私に語った理由も、今やっと理解できたような気がした。
 (蛸)2005.11.29.

 夏子のメールは続く。
「祖父は十五年ほど前に亡くなりましたが、私にレンブラントの作品『ダナエ』を残してくれました。これをあなたがナホトカで鑑定したことも遺書にしたためられていました。私はあなたが描いてくれた私の肖像画とダナエを支えに生きてきました。
 ところで、半年ほど前、祖父の昔の知り合いで、ロシア人のシェンバリドさんという方が現れ、あなたに会いたければ、さるプロジェクトに資金援助するよう持ちかけられました。あなたはシェンバリドさんをご存じですか?」
 バロージャのことであった。私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
 (貝)2005.11.30

 バロージャとはその後会っていないが、バーチャルの夏子に会いたくて微に入り細に入り彼女の特徴や性格を語ったものだった。彼女に直接コンタクトしたとは・・・。余計なことを言っていなければいいが。寂しさを紛らわすためフィリピンで何人かの女性とつきあったこともあった。いくら紛らわそうとしても夏子でなければ駄目だった。
 (鮎)2005.12.01

「シェンバリドさんの英語はなまりが強くてよくわかりませんでした。」
 ロシアなまりとフィリピンなまりが合わさっているのだ。少し安心した。
「さらにソラリス・プロジェクトとかドコサイクサ酸とかおっしゃるのですが、全くわかりませんでした。要はあなたに会わせるためにはサンマが必要とのことなので、わからないまま叔父に頼んで、冷凍サンマを大量にフィリピンに送りました。」
 自分の工場で使う分ではないのか。
「そしてすぐあなたからメールが届いたのです。」
 バロージャには今までの経緯を説明する英語力もなかったようだ。
(鯨)2005.12.05

「私宛にサンマ缶詰を大量に送るから、それを三ヶ月間で平らげるようにとのことでした。」
 バロージャの奴、夏子をも新型モジュールに入れて、私の偽物に引き合わせてあげようとしたのだろう。日本語のメールはフィリピン在住の日本人にでも頼んだに違いない。
「私は事情が飲み込めませんでしたが、あなたに会いたい一心でサンマを平らげたら、バロージャは横浜の保税倉庫まで私を連れて行ってくれました。そこにはフィリピン行きのコンテナが置かれてあり、中にあった機械に入るよう言われたので、私は恐る恐る暗闇の中に入り込みました。目がようやく慣れると、すぐ目の前にあなたが立っていました。でも、あなたは私を一瞥すると、くるりと背を向けました。『なぜこちらを向いてくれないの?』と訊くと、『僕はデブと汗っかきが嫌いだ!』と答えるではありませんか。」
 バロージャが作ったモジュールの出鱈目な人物設定による犠牲者がここにもいた。
「夏子、そのメールを送ったのは僕じゃない。今すぐ君に会いたい。平山」
 (貝)2005.12.06

「アブラの乗った太平洋産サンマを毎日食べていた私は、あなたにコンテナ倉庫で言われたように見事に太ってしまいました。ちょっと今会えるような状況(体型)ではないのです。やっとあなたに会えるのですからもう少しましになって会いたいというのが女心なのです。」
 (鮎)2005.12.12

 それから1か月が過ぎた。
「もういいだろうか?」
「まだです」
  さらに2か月目が過ぎた。
「そろそろ、いいんじゃないか?」
「もう少し待って」
 12月になった。
 (蛸)2005.12.13.

 そしてようやく夏子は約束してくれた。そして代わりに夏子の母親が来られた。
 私は、病気でという理由はすぐ嘘だと思った。夏子にとっても私にとっても、長いそれぞれの歳月があった。その年月を埋めるためには、それぞれ準備しなければいけなかったのだ。彼女は脂肪を削るために。そして私は虚栄にみちた半生を洗い流さねばならなかった。
 彼女が来なかったことを理解できていた。そして今長いメールを書いている。
 月島にも朝が訪れた。
 高いマンションだらけになった月島で朝日を拝むことは難しい。ただ下町の朝の喧騒は昔と同じだ。
 私はパソコンの前を離れ、誘われるように商店街にでた。
 (鯨)2005.12.13

 かちどき橋を渡るとそこは築地である。年末の買い出しのため早朝でも人が多い。乾物、野菜、卵焼き、おでん種、鮮魚、干物、マグロの刺身など何でも売っている。威勢のいいかけ声が響いている。両手に戦利品を下げて狭い路地を人々が行き来している。人混みを避け、よく行くコーヒー屋に入った。注文してお金を払い、カウンターに座った。コーヒーをすすって一息ついたところで、店の中に夏子の姿を認めた。先日会ったお母さんと一緒だから夏子なのだろう。ご多分に漏れず買い物を済ませた様子だった。声をかけようか迷った。
 (鮎)2005.12.15

 意を決して声をかけると、その人は夏子ではなく、「妹の冬子です」 というようなことにならぬか不安があった。金原泰造のときもそうであったが、なにしろ私は夏子の家族のことを何も知らないのだ。そんな名前の妹がいることだってあり得る。
 心を千々に乱してひとり進退に窮している私の耳に、突然、店のテレビから流れる声が響いた。尼となって俗を捨てた高名な女流作家がしゃべっていた。
「新しい靴を買ったら、流行遅れの古い靴は捨てますよ、女は。でも、男は古い靴をいつまでも後生大事に持っているでしょ。あれといっしょ。男というのは、いつも未練たらたらなんです。ところが女にとって過去は過去。きれいさっぱり切り捨てる。男と女はそこがまるっきりちがうんですよ。男はそのことが理解できないのね」
 視聴者の悩みに答える番組のようであったが、私は自分と夏子のことを一刀両断にされたような気がした。冷水を浴びたような思いであった。
 私が椅子で固まっていると、二人は談笑しながら立ちあがり、店を出た。後を追う気分にはなれなかった。
(蛸)2005.12.15.

 突如、目の前が真っ暗になった。
 「だ・れ・だ?」
 懐かしい夏子の声だ。後ろから両手の平で私の目を塞いだのだった。
 「な、夏子!」
 「当たり! あなたが声を掛けてくれないから、母に先に行ってもらって、別の入り口からまた入ってきたの。まあ、あなたったら・・・」
 夏子の言葉の最後の方も涙声になっていた。
 「両手がびしょ濡れだわ・・・今、隣の席に座るから、いいって言うまで目を開けちゃだめよ。」
 私は目を固く閉じたまま、人の動く気配を感じ、懐かしい夏子の香りを嗅いだ。
 「いいわよ。」
 (貝)2005.12.16

 眼をあけると、夏子はカウンターの横の席で腰をずらして真正面から私をみていた。口元に微笑をたたえ、私の二十年あまりの変化をひとつも見逃すまいとするかのように私を見つめていた。
 うすいピンクのセーターとショートカットの髪と化粧っけのない顔が、清楚さをきわだたせていた。
 私は最後に彼女の涙で光った眼と色気さえ感じる涙袋をみて、視線をおとした。私の長年の生活の垢と虚構の人生を感じ取られるのが恥しかった。
 そう夏子は昔のままだった。もちろん若干ふっくらした肢体とおちつきある仕草は、若い娘のものではない。ただ彼女が私と違って「正しく」生きてきたことはすぐわかった。
 夏子は小首をかしげて私を見続けていた。
 「髪の毛切ったんだね。」
 (鯨)2005.12.19

「そう、髪が長いと手入れが大変だから切っちゃった。あなたのひげは変わらないのね。でも白い物が混じってきたみたい。」
 夏子は今の自分が平山の目にどう映るかが恐くて会うのを先延ばしにしてきたが、今日平山を見た途端、自分が今まで会うのを我慢してきたことに気がついた。
「お腹はすいていない?お寿司でも食べていかない? いいお店知っているんだ。」
 (鮎)2005.12.22

 店を出ると人混みを避けるように、夏子は狭い路地に入り、平山の先を進んだ。時折、平山を確認するかのように、後ろを振り返った。夏子は昔と同じ香水を付けていた。二十年前の出来事が次々に平山の脳裏に蘇る。
 (貝)2005.12.24
 
「いらっしゃいませ!」
 威勢のいい声が響き、私たちはカウンターの奥の席に通された。
「めずらしいね。なっちゃんが男連れで来るなんて」
 客は多かったが、マスターらしき男がしきりに夏子に話しかけた。夏子がこの寿司屋の常連であることがよくわかった。
「何を握ります? 今日はサンマがうまいよ」
 夏子と私は思わず顔を見合わせ、腹を抱えて笑ってしまった。
 夏子は笑いすぎて涙を流しながら、
「サ、サ、サンマ、だけは、やめて、おねがい、だから」
 途切れ途切れに言うのがやっとだった。
「なんだか知らないけど、お二人、楽しそうだね。この人、なっちゃんのいい人?」
 夏子は返事をしなかったが、はにかんだ表情が返事になっていた。
 マスターは私の方へ顔を向けた。
「お客さん、目が高いねーと言いたいところだが、なっちゃんに惚れるのはみんなそうなんだよ。なっちゃんの心を射止めるのが大変なの。今日はクリスマスだけど、何かすごいプレゼントでもしたの?」
 私は言葉に詰まった。そうか、今日はクリスマスだったのだ。夏子に贈るべき何ものも持ち合わせていない自分が切なかった。
 返事を待っているマスターに向かって私は言った。突然ひらめいたアイデアのように見えて、実は私のもっとも深いところに潜んでいたことを。
「絵・・・・絵を・・・・プレゼントしようと思ってるんです。夏子の、いや、夏子さんの肖像画を描いて。今年は間に合いませんが、来年のクリスマスまでには必ず」
「へー、お客さん、絵描きなの?」
 隣で夏子のすすり泣く声がした。
(蛸)2005.12.25.

 店内の喧騒は聞こえなかった。とっさに言ったプレゼントについて考えていた。
 夏子は隣で微笑みながら泣いていた。まるで私のくだらない半生を洗い流してくれるかのように。
 決めたのはひらめを口に入れたときだった。
 もう一度絵描きをやろう。本物の絵を描こう。
 私は夏子を見た。夏子も涙であふれた眼で振り返った。
(鯨)2005.12.26

「今日はわさびが効きすぎよ・・・」
「そうだね、ちょっと効いているね。」
 私も涙目で答えた。
 (貝)2005.12.27

 マスターは夏子の好みを知っているのであろう、何も言わなくても、たまにやってきては何かを握ってそっと置いていった。それ以外は私たちに近づかなくなり、二人の近くの席は空けたままにしておいてくれた。人柄がにじみでていた。それは夏子の人柄のせいでもあるのは明らかだった。
 その夏子がクスクス笑って言った。
「あなたのメール、ちょっと支離滅裂なところがあって、実はよくわからなかったの」
 私はため息をついた。突拍子もないことばかりが起こるひどい半生だった。つじつまが合わないことも目立つ。わけがわからないままになっていることもある。自分でも「どうなっているんだ!」と叫びたいぐらいである。
「いいのよ、もう説明しなくても」
 夏子はそう言って返答に窮する私を救ってくれた。
(蛸)2005.12.28.

 ふーっと深く息をはき、夏子に尋ねた。
「もう一度私の絵のモデルになってくれる?」
(鮎)2005.12.29

 夏子はもう泣き止んでいた。
「綺麗に描かなくていい。今のありのままの私を描いて欲しい。」
 夏子はつぶやくように言った。そのつもりだった。イメージがふくらんでいった。とても明るい絵が描けそうだった。

 丸の内で始まり、長い時間をかけて今築地にいる。これから彼女とこの東京のどこかで残りの人生を歩むことになるだろう。
 「話終わったかい。いいマグロはいってるけど食べるかい。」
 初老の主人が声をかけてきた。
「そうですね。そしたらマグロとあとサンマ。」
 私の注文に夏子は微笑んだ。
「私も同じものをください。」
 (鯨)2006.1.4

               −終わり−

次はこの人の番! というか、「何握りましょうか?」というべきか。
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