現代徒然草(4) |
八年後に スーパーの棚で、セリや三ツ葉を見かけると、不思議に思うことがある。 それらは小さな溝、すなわち小さな水流に沿って、あるいは水流の中に、 自生していた。自生しているものなのだ。 青ジソの葉っぱを大葉などと呼んでほしくない。わが家の小さな畑が 機能していた頃、青ジソは勝手に芽を出した。キュウリの畑の間や、ネギ の畑の端や、花みずきの根元など。育ちのよいものを残しておけば、刺身 の毒消しに不自由することはなかった。 生活や文化、家族等が機能しなくなったというのは、どういうことなのか。 カラオケの年寄は増えて、庭の畑で摘んだ青ジソの実を佃煮にする人と いうものが、なくなろうとしているのは、どういうことなのか。 「モモ、クリ三年、カキ八年」 父や母たちの時代の喜びと悲しみについて、私は九割程度しか理解でき ない。 今年植えた柿の木を、八年後に、八年後に、喜びをもって収穫出来るの だろうか。 私の家族は、抱き合って収穫しなくてはならない。 2003.3.25. 武兵衛 |
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