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上床 和則



第5話 チュニジア通信 その5

 暑くて眠れない夜は、とにかく気分を紛らわせることが肝要である。蚊取り線香をいっぱいに焚いた中庭に寝床を移し、満天の星空を見ながら、遙か昔に思いを馳せるのも悪くない。
 北アフリカはもともとベルベル人(イマジゲンが正しい)が居住していた。
 紀元前10世紀頃、地中海周辺諸国をほぼ手中に収めたのは、現在のシリア辺りを本拠地とするフェニキアであり、ベルベル人は歴史の舞台から遠ざかることになる。単なるフェニキアの衛星都市であったカルタゴは、現在のチュニジアを中心として都市を建設していた。母屋であるフェニキアがどんどん衰退していく中、衛星都市のカルタゴは都市国家を確立させ、その勢力を伸ばしていく。ところが、当時は小国に過ぎなかったローマという国が徐々にその勢力を拡大して、遂にカルタゴと激突する。ポエニ戦争だ。ハンニバル将軍は象にまたがり、ピレネー山脈、アルプス山脈を越えイタリアに攻め込むなどしたが、激戦の末、ついにカルタゴはローマ帝国により壊滅させられるのである。ローマ軍はカルタゴの都市があった場所を埋め立て、その上にローマの都市を築いた。近年、カルタゴの都市の発掘が行われているが、その跡からは、敵を完膚無きまでたたきのめす姿勢がうかがわれる。これでローマ帝国は地中海の海上交易の覇権を我が物とした。そして、チュニジアはローマ帝国時代もアフリカ大陸側の重要な交易拠点となり、宮殿、コロシアム、浴場、山から湧き出る水を十数キロも離れた浴場まで引き込む水道橋などが建設され、栄華を極めた。この水道橋は自然の地形の高低差を利用して水を流すシステムだが、当時の測量技術と建築技術のすごさには圧倒される。
 ところで、沢尻エリカという女優がいる。彼女の母親はアルジェリア系フランス人と言われているが残念ながらお目にかかったことはない。はたしてエリカ嬢のあの顔立ち、一見父親の血を濃く受け継いだようにも見えるが、きっとベルベル系の血が彼女にも流れていると私は思う。と、突然蚊に襲われ夜の暑さが戻ってきた。

              
                アラブ時代の建築物
               (モナスティールにて)


 

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