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第7話 チュニジア通信 その7

 「カスバの女」という懐メロに「ここは地の果てアルジェリア・・・、明日はチュニスかモロッコか」とう歌詞がある。アラブ諸国では、チュニジア、アルジェリア、モロッコを「マグリブ(又はマグレブ):日の沈む地」と称し、日本でも旅行社などがマグレブ3国などと呼んだツアーが企画されている。日の出ずる国ジパングからしてみれば、日の沈む国は地の果てとこの作詞家は考えたのであろう。私がしげしげと通うのは、地の果ての隣チュニジアである。
 チュニジアの南部に移動したときに第2次世界大戦の時の話を聞いた。第2次世界大戦直前、地中海に面したアフリカ北部の国々は後の連合軍に属した国々の統治下にあった。地中海沿岸のアフリカ大陸北部をも手中に治め、栄華を誇ったローマ帝国の復興を夢見たイタリアのムッソリーニは、当時のイギリス領のエジプトに攻め込んでくる。これに対してイギリスは「砂漠のネズミ」作戦を展開し、モントゴメリーを投入して抗戦するのである。機動部隊を持たないイタリア軍は徐々に追いつめられドイツに助けを求める。ここでヒトラーはある人物を選択した。登場するのが「砂漠のキツネ」と言われたロンメルである。ロンメルは類い希な戦略家で、戦車等の機動部隊を駆使してネズミをけちらし、エジプトからリビアへと勢力を拡大する。前線での苦戦を強いられている連合軍は、イタリア等からのドイツアフリカ北部部隊への補給路を断つためにマルタ島を空爆する作戦等で対抗するのである。流石のロンメルも燃料などの補給路を断たれては、機動部隊を動かし切れない。またこの頃、アメリカはアルジェリアにパットンを投入する。攻勢を増したエジプトからのモントゴメリーとアルジェリアからのパットンとの東西からの進軍に対して、ロンメルはここチュニジアに追いつめられるのである。結局、激戦の末、物資を失ったロンメル部隊は戦車等を放棄してドイツに逃げ帰ることとなる。
 そんな舞台となった岩漠(がんばく)・土漠(どばく)地帯を丘の上から眺めながら、夏草は育たなくてわずかな灌木ばかりなれども、「兵どもが夢の跡か・・・」と思わずつぶやいていた。

            

           土漠の中の横穴式住居(マトゥマタにて)

 
 

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