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いわし雲
                           鈴木 敬一



 第11話 「死後の世界

 よほど強固な信念か諦観(ていかん)を有しない限り、人は「死ぬのは怖い」と思うのが通常である。大半の人は長生きしたいという願いを抱いているが、しかし、不老不死の仙薬は、いかなる権力者が富を積んでも不可能であり、人間である以上、いつかはその生が絶たれる日の来ることが自明の理(ことわり)である。
 ただし、死の後、一体どうなるかという大きな疑問が残る。「無」という人もいるが、多くの宗教、例えば、キリスト教では、死者は審判の場に引き出され天国と地獄に振り分けられることになっており、イスラム教にも神による審判がある。
 仏教では、極楽浄土や地獄という考え方や輪廻(りんね)の思想がある。仏陀(ぶっだ)自身は否定しているが。なにしろ、誰も見たこともなく、経験したこともない世界であるだけに始末が悪い。
 かつて臨死体験といわれる、いったんは死に到ったと見なされた人間が再生した実例を、広く内外で調査した本が出版された。
 ここに登場してくる体験者の言によれば、死後(死んだと思われた直後に)長いトンネルをくぐり抜けていくと、美しい花園があり、既に亡くなった友人縁者たちと楽しい話をしたという報告が何件も記されていて、死後の世界は本当にあるのではないか、と何となく考えたくなってしまう。
 しかし、それは本当に死後の世界に片足を踏み入れた体験なのか、あるいは、仮死状態に置かれた脳の機能が低下し、それによる幻想であるのかは断じ得ないと著者は結論付けていた。
 死後の世界の科学的な証明は皆無であり、大きな謎である。
 しかし、「ない」と割り切って考えた場合、心の片隅で本当にそうであろうかという疑問が首をもたげてくる。

   (本稿は『水産週報』 2006年7月5日に掲載されたものです)


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