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いわし雲
                           鈴木 敬一



 第13話 「歌詞

 わたしの友人の中に歌詞を作ることを趣味にしているグループがいる。また、その種の歌詞を掲載する専門誌もある。歌詞だけに純粋の詩とは趣を異にし、演歌風のものから、シャンソン、フォーク調などこれといった規定はなく、わたしの感覚では、かつての流行歌に近い。
 もちろん、文語調もあれば、語りかけるような話し言葉もある。私も彼らに誘われて何編かの作品を専門誌に投稿したが、まことに厳しい批評を受け歌心の乏しさに大変情けない思いをしている。
 私たちが日常、口にする歌は、唱歌、童謡からいわゆる流行歌、民謡、フォーク、ポピュラーソングなどの大衆歌曲が大半を占めている。だが実際、こうして自分で作詞を手掛けてみると、戦前からのナツメロを含めて優れた格調の高い作品ももちろん少なからずあるが、こんなばかばかしい言葉の羅列でよく大衆に支持されたのかと不思議な思いに駆られるものも多い。昨今の変な英語混じりの歌詞もわたしにはまったく異様にうつる。奇異をてらうのか、売れればよしとするのか分からないが。
 後世に受け継がれるような優れた詩を、美しいメロディーにのせて広く国民に歌われる歌の出来(しゅつらい)を期待したい。
 かつて、土井晩翠、島崎藤村、北原白秋、野口雨情などの詩に曲がつけられ、今なお胸襟に深く刻み込まれている歌の数々が、昨今は教科書から消えつつあると聞く。その上、明治、大正、昭和と親から子へと歌い継がれてきた唱歌や「赤い鳥」が媒体となり、広く人々に知れ渡って賞賛されていた童謡などが段々と忘れ去られていく現状は、まことに寂しい限りである。
 これは単に時代の流れ、世の変化の一端なのか、それともわたしが既に過去の人間と化しただけのことであろうか。


   (本稿は『水産週報』 2006年9月5日に掲載されたものです)


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