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いわし雲
                           鈴木 敬一



第16話 「名前を伏せるべき場合

 最近、古くからの仕事仲間や知己の訃報に接することが多くなって、葬儀に参列する回数も年毎に増えてきた。寂しいことである。
 葬列場には生花などの花輪がよく供えられているが、従前より何とはなしに違和感を抱いていることがある。それは往々にして花輪に贈呈者である企業や個人の名前がかなり大きく記されていることだ。わたし自身も自分の会社名や名前を見いだすたびに何となく面はい思いに駆られてきた。
 遺族の方々が贈呈者への礼として、さらには、故人の交友関係を会葬者に知ってもらうという意味もあるかもしれないが、どこか宣伝臭が感じられて、場所が場所だけに嫌みに感ずるのは私だけだろうか。TPOからすれば出来れば避けたいと思う。
 同じようなことは神社仏閣への寄進についても言えよう。灯篭(とうろう)やちょうちん、さらには金員を刻した石碑などにも企業名や個人名が記されている例が多いが、純粋な信仰心の観点からすれば不自然さはいかんともし難い。これでは神仏ご加護も相当割り引かれると思うのだが。
 奈良などの名刹(めいさつ)で行われているように、お堂や塔の新築や改築の場合、棟木や瓦の裏に外部から見えない形で寄進者名を記すことが善意に報いる一番望ましい方式と考える。
 こういう慣習、世相に対して、二年前の福井県の大水害時に二億円の当選宝くじ券を寄贈された奇特な方のニュースを思い出した。誰にでも出来ることではないが、かかる無私の奉仕行為には、ただただ頭が下がるのみである。

   (本稿は『水産週報』 2007年1月15日に掲載されたものです)

 


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