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いわし雲
                           鈴木 敬一



第18話 「ひたむきということ

 過日、米航空宇宙局(NASA)の43歳の女性宇宙飛行士による事件が報道された。既婚で3人の子持ちの身でありながら、恋する男の恋敵の女性を嫉妬(しっと)に狂い誘拐しようとして、1600キロもの道のりをトイレに立ち寄る時間を節約すべく、おむつまでして一気に車を走らせ結局、逮捕された。
 NASAの飛行士といえば高い知性と教養を有し、厳しい訓練に耐えてきた精神的に極めて安定したエリートと見なされている上、人妻の身であるだけに、このような非常識な愚かしい行為に走ったことを半ばあきれ、また嘲笑(ちょうしょう)を込めて報道していた。
 確かに一般的な世間の常識からすれば、そういう解釈が自然であろう。しかし、私は常識や世間体や損得を全く無視した彼女の恋へのひたむきさに、ある種の感銘を覚えた。恋は盲目ということを地でいった感がするが、いちずでひたすらな打算のない行為は、どこか人の心を強く打つものがある。
 数日前にテレビで昔懐かしいフランス映画の古典「望郷」を見た。ジャン・ギャバン演ずる主人公、カスバの帝王、ペペが財産も命もなげうって恋する女性を追い求め、破滅していく姿は何十年も以前の学生時代に見た時の感動を、再びよみがえらせてくれた。
 誰にでもできることではない。しかし、人生を感動で彩るのは、欲得なしのひたむきな行為と自己犠牲の姿である。多くの文学や逸話がこのようなテーマの下に読まれ、語り継がれ人々の胸裏に熱い火を燃えさせてきたのである。
 金銭や物質万能主義、打算的行為が謳歌(おうか)している昨今の風潮を見るにつけ、私は世評とは違い、この女性宇宙飛行士の行為は「望郷」のペペと同じように、違法ではあるものの、どこか心を揺さぶられる出来事であった。


   (本稿は『水産週報』 2007年3月25日に掲載されたものです)
 


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