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いわし雲
                           鈴木 敬一



第19話 「尾車親方の話

 先日、大相撲の尾車親方、元大関の講演を聴く機会があった。親方は文字通り艱難(かんなん)辛苦、不屈の闘志と超人的努力でひざの故障を克服し、関脇より幕下三十枚目まで降下したが再度、大関まで昇進した体験者だけに、その話は極めて感動的であったので、その要旨を紹介してみたい。
 心技体は相撲取りにとって最大の必須条件。ただし順位は、文字通り心、すなわち、精神力が何よりも優先し、次いで技量、そして最後にくるのが体力である。代表的な格闘技である相撲でこの順位とはちょっとした驚きである。決してこの逆ではないという。また、いかに努力しても結果が伴わない限り意味がない。星取り表がすべて。もちろん過程も評価されるが、あくまでも第二義的に過ぎない。
 「ちょんまげ」が持つ価値の大きさ。「ちょんまげ」を付け、それなりの成績を上げているから世間から評価され、金も恋も名声も入手できる。なければ、単なる身体が大きいだけのタダの人。サラリーマンと会社の関係もこれに類似していよう。
 相撲の技の精髄は、正面から頭ごとぶちかまし、押し、突きにあるのであって、飛んだり引いたりするような逃げ技を多用している限り、横綱や大関にはなれない。苦しくとも正道を進むべきで安易な姑息(こそく)な技術では大成はおぼつかない。
 指導者(親方)は、決して弟子に甘言を呈してはなならい。常に叱正(しっせい)、ムチ打ちして憎まれ役に徹するべきである。アメとムチというが、勝負の世界ではムチに終始する。それで落ちこぼれて行く者は、突き放す冷酷さが必要。琴風が技能賞を受賞した時のこと。喜んで佐渡ヶ嶽親方に報告すると、渋面を浮かべ、こんなものは下の地位にいれば取れるんだ、と一喝、優勝賜杯のみが唯一、自慢しうるものであると叱責(しっせき)した由。

   (本稿は『水産週報』 2007年5月15日に掲載されたものです)
 


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