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いわし雲
                           鈴木 敬一



第22話 「和歌(うた)にひかれて

 築地市場には銀麟会という文化団体がある。この会の新年会では福引きが恒例となっているが、そのやり方は独特で百人一首の取り札(下の句)を参加者に渡しておき、抽選者が上の句を、当選者が下の句を朗詠するという築地らしい粋な行事である。
 和歌は日本人にとって感動や抒情の表現に一番適した詩歌形態であり、往古から広く階層を越えて生活の中に深く根付いてきている。昨今では、かなり等閑(なおざり)にされているが、江戸時代までは教養の基本であり、意志や心情を伝達する大変、洗練された手段であった。恋などの人生もろもろの断面や、時には辞世まで、その感情の発露は、多分にこの三十一(みそひと)文字に託されてきた。
 特に飛鳥、奈良、平安時代の古典作品は、素朴で真摯に、そして直截に感情表現されていて深い感動を与えてくれる。繰り返し読んでも、あくことを知らない。貴重な偉大な文化遺産といえよう。
 太平洋戦争に多くの兵士が万葉集を携えて出征していったと聞く。英米の兵士が一体どの位ワーズワースやキーツやホイットマンの詩集を塹壕に持ち込んだであろうか。
 今年は平城遷都千三百年に当る。古寺巡礼と合せ、もっと万葉集を愛誦し、味わいたいものである。

 あたらしき年の始めの初雪の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
                    大伴家持(おおとものやかもち)

 これは万葉集の最後の結びの歌で、「いや重け吉事」とは、益々吉事幸福が重なれという意で、新年を寿(ことほ)いだ吉祥歌である。

(本稿は『日刊食料新聞』 2010年1月15日に掲載されたものです)
 
   


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