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いわし雲
                           鈴木 敬一


第32話「オリンピック雑感 その二」
 
 バンクーバー五輪で日本選手は健闘したともいえるが、総点では期待に充分に応えられなかったとの見方が大方であろう(パラリンピックは大殊勲であったが)。好成績であった隣国、中・韓二国と比較すると国家の支援、優遇措置の違いもさることながら、選手個個において体力、技術力以外の精神面や考え方で日本人の特性に起因するところが大ではないかと考える。
 端的に言えば、勝負に対する「こだわり」「執念」が稀薄なのである。過程は大切にするが、最終結果には強くこだわらない、何が何でも勝てば良しとせず、汚い勝ち方は白眼視される。つまるところ、根源にあるのは美意識の違いであろう。
 囲碁の世界で日本の棋士は配置された碁石の姿、形に非常にこだわり、「たとえ負けても、そんなところに石は置けない」とよく口にするが、外国の棋士にはほとんど理解されないという。勝負に負ければ全てがジ・エンドであり、勝負よりも石の形の美に拘泥することにどれだけの意味があるのかというもっともな疑問を抱くからである。
 このような美意識は散っていく桜の花に無常を感じ、秋の虫のネ音に幽愁を催す日本人の生活感覚と相まって、長い間の歴史的過程と社会構造の下で自ずと培われた、独特な民族性といえよう。
 草食と肉食、農耕民族と狩猟民族、最終的に頼れるのは自分自身だけという個人主義と皆が仲良くもたれ合っていく集団社会での家族主義との違いであろうか。
 しかしグローバル化の影響が生活の隅々にまで入り込んできている21世紀の今日、このような美意識にだけ浸っていることは、最早許されない。競争意識と勝負に執着する心をしっかりと保持すべきである。単にスポーツの世界だけでなく、昨今、世相を騒がしている捕鯨や大西洋クロマグロに対する諸外国からの理不尽、非条理きわまりない強弁と行動を見ても、毅然たる対応と戦い抜く気構えは絶対に必要である。

 
(本稿は『日刊食料新聞』 2010年3月26日に掲載されたものです)
  

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