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いわし雲
                           鈴木 敬一



 第4話 「ちあきなおみ」

 
 私は音痴であり人前で歌うにはかなりの躊躇を伴うが、音楽を聴くことは大好きである。クラッシックからポップス、流行歌などジャンルにはこだわらないが、変にくずした演歌だけは苦手で、時に嘔吐感すら覚えることがある。流行歌手について言えば、どういうわけか終戦直後の少年時代に口ずさんだ古い歌手は今もなお大変懐かしく思い出す。
 「ちあき なおみ」という歌手がいた。ここ10年あまりテレビなどでまったく見かけなくなってしまったがある日、ふとしたきっかけで彼女の「矢切の渡し」や「さだめ川」を聴く機会を持った。この歌はいろいろな歌手が口にしているが、他の歌手とは異なり、歌唱力の素晴らしさは言うまでもないが、何より歌詞に盛り込まれたストーリーに気持ち全体が深く引きずり込まれていった。低音を特徴とした、ややシャンソン風の語りかけるような彼女独特の情感に満ちた歌い方の巧みさによるものであろう。その哀傷感、時代を超えて、まさに絶唱というべきである。残念ながら彼女は13年前、全ての芸能活動を休止していた。
 2年ほど前に「永遠のマリア・カラス」という映画を見る機会があった。歌えなくなった名歌手カラスを全盛期の声で吹き返し直そうという、あるプロデッューサーの試みであり、ひと時、彼女も同意するが、最後の段階で結局、拒絶してしまうという展開だった。もちろん全てフィクションだ。
 しかし、歌えなくなった(歌わなくなった)歌手の悲哀は強く私の心を打った。なおみ復活の声は全国的に強い広がりを見せているという。私も言うまでもなくその一人で、今は入手できるだけのCDを集めている。いかなる理由か分からないが、本人に如何ともし難い意志があるとすれば、それはそれで致し方ないことである。カラスの映画のように。


 (本稿は『水産週報』 2005年12月25日に掲載されたものです)



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