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いわし雲
                           鈴木 敬一



 第5話 「銭湯と入墨」

 
 私は家のちまちました風呂よりも、ゆったりと手足が伸ばせる銭湯が好きで週に数回は行く。幸い自宅から徒歩5分ほどの近さにあり寒い日でも苦にはならない。かつて街中のあちこちで見かけた、あの特有の高い煙突も一時期大変少なくなったが、昨今は設備が近代化し清潔にもなり、客の入りは多いようである。
 行き付け湯はサウナや薬湯もあり、正月以外は年中無休であることも大変ありがたい。だが唯一の難点は温度が私の好みよりかなり高めで、下町の特徴であろうが、お年寄りが熱い湯に顔を赤くして、首まで長い間浸かっている。また、一昔前によく見られた富士山や松並木などの背景絵が、タイル張りに替わったせいで見られなくなったのも変に寂しい感じがする。
 私は、他の人に比べると相当な長湯で、一時間近くは風呂で過ごす。よくゴルフ場で疲れた体を、ゆったりと入浴で癒したいと思うのだが、大概の仲間の、まさしくカラスの行水に合わせようとするため、楽しみは半減してしまう。
 一点、銭湯でもゴルフ場の浴場でも、大変不思議でかつ遺憾に思うことがある。それは「入墨をしている人はご遠慮下さい」という張り紙である。私にはこの理由が理解できない。彫り物は、魔除けや装飾として古来、世界各地で行われ、わが国でも記紀や魏志倭人伝にも記載されている。確かに江戸中期には窃盗犯罪者には入墨の刑を実施したことはあるが、江戸後期以降、精巧な図柄や芸術的な絵模様の彫り物を施す職人や伊達者が多く見られ、現在もその伝統を引き継いでいる人達がいる。ゆがんだ特殊な目で見る社会の悪い風潮の一端の反映であろうが、私には何ら根拠もない明らかな差別行為としか考えられない。かつて、ロシア(ソ連)貿易に従事していたころ、漁業省の副大臣は腕に錨の彫り物をしていた。

  (本稿は『水産週報』 2006年2月5日に掲載されたものです)


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