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いわし雲
                           鈴木 敬一



 第7話 「作曲家と画家

 過日、新聞紙上で今年は忘却のロシア人作曲家アントン・アレンスキーの没後百年に当たり日本でも追悼企画が相次いでいるとの記事を読んだ。私はもちろん、初めて聞く名前である。1861年生まれでラフマニノフやスクリャービンを育てたが、飲酒、賭博により破滅型の生涯を送り1906年に逝去したという。
 画家の場合、生前はまったく認められず赤貧の生活を強いられたが、死後、評価が180度反転し、著しく高揚したケースが数多くある。例えば、ゴッホは作品総数1700点中、生前売れた画はわずか一点のみ。しかし、「医師ガシュ」は1990年には115億円の価がつき、今やゴッホの作品は美術市場に君臨している。セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、モディリアニなど現在では世界的に高名な画家達は、世間の不理解のもと、不遇と孤独のうちに悶々として生涯を終えている。
 日本でも棺を蓋ってこと定まった絵描きは多い。それに反し、私の知る限り作曲家は大半が生存中にそれなりの評価を受けている。幼児より名声を博したモーツァルトのような作曲家もかなりいた。逆に、死後、生前は盛んにもてはやされたが、今やまったく忘れ去られた作曲家も当然相当いる。もちろん生活に窮した作曲家はいた。浪費癖や賭博、悪妻などがその原因であり、贅は尽くせなくても、画家のように明日の糧に困ることはなかったはずである。
 この作曲家と画家の違いは一体何に起因するのであろうか。王侯貴族、社交界、教会、パトロンとのつながり、大衆の支持が音楽会では強かったのに反し、絵画の世界ではルネッサンス後はかなり脆弱であったことや、新しい表現方式に反発する保守的な傾向が強かったということも影響しているのであろうか。どなたかご教示していただければ幸いである。

   (本稿は『水産週報』 2006年4月5日に掲載されたものです)


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