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いわし雲
                           鈴木 敬一



 第8話 「誕生日の意義

 

 私の誕生日は四月某日であるが、最近は祝福してくれる人はほとんど誰もいない。あえて贈り物もごちそうも期待はしていないが、誕生日の意義とは一体、何であろうかと時々考えることがある。よく著名人、建築物、芸術作品、また企業や組織が生誕何年と表示され、概して古いほど歴史的重みが感じられ高い評価を受けているようである。
 一般の人間世界においても古来、還暦、古希、傘寿など長寿者に対し表敬の辞があり祝意なども示されているが、平均年齢が八十歳を超え、百歳以上という超長寿者も年々増加している現実を考えると、若い時は別にしても中高年に達したならば、私は単なる旧来の誕生日よりは生後何日目に当たるかということで一つの区切りをつくり、その日を祝する方が有意義であると考える。
 例えば、六十歳の誕生日を迎えた人は、生後21,915日目にあたるが、それよりも22,000日目になった日を一つの節目として祝ったらどうであろうか。そして現在の平均寿命から計算された平均余命を求め(直近の資料によれば、六十歳での余命は男は22年余、女は27年余)、今後生きながらえられると予測される日数を意識することが大切ではないだろうか。
 死を予告された人たちの死生観を記した文章に時々接することがあるが、私たちも、このような残存日数計算方式に基づけば、漸減していく残された一日一日がいかに貴重であり、またどのように充実させて過ごすべきかを考えるよいチャンスになると思うのだが。
 「今を生きる」(映画の題名にもなったが)という欧州の古い言葉を思い出す。


   (本稿は『水産週報』 2006年4月15日に掲載されたものです)


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